女は強し!歴史に残る最強の女性戦士・兵士10選

女は強し!歴史に残る最強の女性戦士・兵士10選

軍隊は基本、男性社会であり、特に前線、戦場において女性が表立って活躍することは少ない。最近になり、軍内における男女の区別は少なくなり、特殊部隊や戦闘機パイロットといった男性のみしかいなかった部隊も女性への門戸が開かれてきた。とはいっても戦場での主役はまだまだ男性である。しかし、歴史を振り返ると、過去には男性顔負けの女性たちがいた。歴史に名を残す最強の女性戦士・兵士10人を紹介する。

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アマゾネス

紀元前15世紀頃を舞台にしたギリシア神話に登場してくる女性だけの部族。正確にはアマゾーンと呼ばれる。今の黒海周辺に住んでいた狩猟部族になる。基本的には女性のみで構成されており、子を産むときは他の部族の男と交わり子をもうけた。男が生まれた場合は殺すか、奴隷にするか、男側の部族に引き渡し、女のみしか受け付けなかった。弓を射るのに右乳房が邪魔だからと切り落としたという逸話もあるが神話のため、定かではないが、女性部族がいたのは確かなようだ。映画『ワンダーウーマン』はアマゾネスがモデルになっている。

アルテミシア1世

映画『300~帝国の進撃~』にも登場するハリカルナッソスの女王。紀元前480年に起きたギリシア軍とペルシア軍の間に起きた「サラミスの海戦」でペルシア海軍の男所帯のなか、他の男性将校からも妬まれながらも指揮を執った。敗れはしたが男たちを鼓舞し、敵味方からも称賛を受けた。ペルシアの王クセルクセスは、「我が男は女となり、我が女は男となった」と称え、ギリシャの歴史家ヘロドトスは、彼女を戦略において信じられないほど賢い戦士として描いた。

徴姉妹(ハイ・バ・チュン)

ベトナムのジャン・ヌ・ダルクと称される女姉妹。1世紀の交趾(現在のベトナム北部)で起こった中国に対するハイ・バ・チュンの反乱の首謀者。当時、中国の後漢に支配下にあった交趾で徴姉妹は徴王として独立を宣言。後漢は反乱と見なし鎮圧のために侵攻する 。姉妹は戦象にまたがり、黄色の衣装に両手に刀を持って戦った。しかし、寄せ集めの軍であった徴王軍は大敗を喫し、姉妹は殺害、斬首され、 徴王は僅か3年で滅びることになる。

ゼノビア

3世紀に存在したパルミラ(現在のシリア)の女王。当時、隆盛を誇ったローマ帝国に反旗を翻し、自ら軍の陣頭に立って兵を鼓舞し、エジプトとアナトリアに侵攻し、領土を広げた。彼女は優れた騎兵だったが、時には馬を降り、歩兵と共に徒歩で数キロも行軍するなどして兵士から信頼を集めた。その後ローマに敗れ捕まり、金の鎖で縛られ市内を引き回され斬首されたともあるが、ローマ皇帝アウレリアヌスが、彼女の誠実さと勇気に畏敬の念を抱き、彼女に寛大と自由を与えたとも伝えられている。その後、何世紀にも渡り「強い女性」の象徴となった。

巴御前

平家物語に登場する平安時代末期に源義仲に仕えた信濃(長野)の女武者。色白で長髪、容姿端麗ながら大力と強弓で男も上回る武術を見せ、「一騎当千の強者」とも記されている。 義仲が敗れそうになった時、義仲は巴に逃げるよう即すが彼女はそれを拒むなど他の将兵が離れていく中、最後まで忠義を見せた。しかし、最後には折れて逃げるもその際に敵の首を素手でねじ切ったと伝えられている。逃亡後は尼になって余生を終えた。

ラクシュミー・バーイー

インド中部にあったジャーンシー藩王国の王妃。イギリス軍相手に戦い、そのカリスマ性と戦術能力の高さからインドのジャンヌ・ダルクと称されている。1857年に起きたイギリスの植民地支配に対する反乱で民衆を率いて義勇軍を結成しイギリス軍と戦った。義勇兵の中には女子供もおり、自身は自分の子供を背中に括り付けて戦った。籠城戦に敗れ砦を脱出する際に敵に捕まってしまうが、護送中にイギリス兵を斬殺して脱出する。しかし、その後の戦いで狙撃され戦死する。

中野竹子

戊辰戦争(1868)において幕府側会津藩の婦女隊として新政府軍と戦った女性。姫を守るために女性による薙刀を武器にした婦女隊を結成する。戦闘に参加することを懇願するも女性だからと断られ、ならば自害するといって従軍に加わる。女性ゆえ捕縛されて辱めを受けること嫌い死を決して戦った。当初は女性という事から嘲笑していた新政府軍も死を恐れぬ戦いに驚嘆した。竹子は銃弾を受けるが首を奪われることを嫌い妹に斬首させる。その時、彼女は22歳だった。生き残った婦女隊も多くが自害した。

新島八重

中野竹子と同じく会津藩として戊辰戦争を戦った女性。NHKドラマ『八重の桜』のモデルにもなった。砲術師範であった山本権八の妻であったことから、これからの戦争は銃と考え、薙刀で戦う中野の婦女隊には参加せず、断髪、男装してスペンサー銃を手に男たちと共に戦った。終戦後は日本赤十字に入り、日清戦争、日露戦争に看護婦として従軍し、多くの兵士を助ける。その功績が認められ、勲七等宝冠章を受勲している。

リュドミラ・パヴリチェンコ

第二次世界大戦でソ連軍の狙撃手と活躍した兵士になり、史上最強の女性スナイパーになる。大学時代から狙撃の名手になり、入隊後、看護手という選択もあったが迷わず狙撃手を目指す。第二次大戦では延べ309人を射殺、うち36人は狙撃手だった。その戦果から1943年には当時最高の栄誉であるレーニン勲章を授与され、最終的に少佐まで上り詰める。戦後には、当時のソ連の人間としては初めて、アメリカの大統領官邸ホワイトハウスを訪れ、フランクリン・ルーズヴェルト大統領と面会している。

エヴドキヤ・ザヴァリィ

ウクライナに産まれた彼女は16歳でソ連軍に入隊し、第二次大戦に看護婦として従軍する。ある日、軍服を着ていたら男性と間違われて前線の部隊に投入される。彼女は間違いを指摘せずに男たちと一緒に戦い戦果を上げる。しかし、負傷し治療を受ける際に男性とばれてしまう。しかし、功績を上げていた彼女はそのまま隊に留まり、1943年、10代にして小隊の隊長を務めることになる。10代の女性指揮官は男性兵士に毛嫌いされるも直ぐに尊敬を集め、彼女はドイツ兵から「Frau Black Death」(Frauはドイツ語で女という意味)と呼ばれた。彼女は合計4回負傷し、約40の名誉勲章を受けた。2018年8月に米海兵隊に女性小隊長が誕生するまで、世界で唯一の歩兵小隊長経験者であった。

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