F-4でF-4を押し上げるパルド・プッシュで僚機を救った伝説的パイロット、ボブ・パルド氏が亡くなる

F-4でF-4を押し上げるパルド・プッシュで僚機を救った伝説的パイロット、ボブ・パルド氏が亡くなる
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アメリカ空軍の伝説的パイロットでベトナム戦争の英雄であるボブ・パルド氏が今月5日に89歳で亡くなっていたことが分かった。彼はベトナム戦争時F-4CファントムII戦闘機に乗り、「パルド・プッシュ」として知られる軍用航空史上、前例の無い方法で僚機であるF-4の敵地での墜落を防ぎ、仲間を救ったことで知られている。

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F-4ファントムで下からF‐4を押し上げるパルド・プッシュで仲間を救う

タイのウボンラチャタニにあるタイ王国空軍基地に駐留するアメリカ空軍第8戦術戦闘飛行隊第433戦術戦闘中隊に所属するF-4CファントムIIのパイロットであるパルド大尉は1967年3月10日、僚機であるアール・エイメン大尉のF-4と共にベトナム北部ハノイにある製鉄所への攻撃任務を負い出撃した。それぞれの機体にはレーダー兵器システム担当士官も乗っていた。

2機のF-4C戦闘機はベトナム領空に進入するとまもなく猛烈な対空砲火を浴び、エイメン機の燃料タンクが被弾。燃料の漏出によって燃料はみるみる減っていき、エイメン機は任務の遂行が不可能となった。パルド機はまだ任務遂行可能な状態だった、エイメン機が安全な場所まで飛行できるよう共に帰還することにした。

しかし、エイメン機は既に燃料のほとんどが尽き、ベトナム領空を出てKC-135 空中給油機がいるラオス上空まで飛行することはこのままでは不可能な状況だった。しかし、ベトナム領内で脱出すれば救出は容易ではなく、敵に捕まり、捕虜になる危険性が高い。そこで、パルド大尉はエイメン機がラオス領空まで飛行できるよう、機体を下から押すという非常に大胆な救出方法を思いつく。パルドはまずF-4の機尾にあるドラッグシュートキャビンに軽く触れて押そうとしたが、飛行中の乱気流により姿勢を維持することが難しく、何度かの試みるも失敗。

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アレスティング・フックを出して着艦するF/A-18F Super Hornet
アレスティング・フックを出して着艦するF/A-18F Super Hornet(US Navy)

直接、機体で押すことが無理と判断したパルドはエイメンにアレスティング・フックを降ろすように指示。アレスティング・フックとは艦載機の機体尾部下方に収納されている折り畳み式のフックで、着艦の時に飛行甲板のワイヤーに引っ掛けて短距離で停止させるための装備だ。

パルドはこのフック越しにエイメン機を押し上げた。ただ、この細いフックは非常に不安定で、飛行中15~30秒毎にパルドは位置を調整してエイメン機を支えた。この時、エイメン機のエンジンは停止しており、滑空状態だった。パルド機も2基あるエンジンの1基が火を噴き停止。1基のエンジンのみで約10分間飛行し、エイメン機を支えた。しかし、142km近く押し進めたところでパルド機も燃料切れを起こす。しかし、この時、既にラオス上空高度6,000フィート(1,800m)の所に達していた。この高度は彼らに約2分間の飛行猶予を与え、乗っていた4人は機体を捨て、脱出。敵地で脱出するという最悪の事態は免れ、その後、4人は味方の救助ヘリによって救出された。

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パルド大尉の行動は2名の仲間を救うという英雄的行為に思えたが、軍の上層部はパルド大尉に「自身の機体を救う努力を怠った」として処罰を課した。パルド、エイメンの2人はその後も空軍でキャリアを重ね中佐で退役している。20年以上が経過した1989年に軍はパルド氏の当時の行為の再検証を行い、パルド氏と同乗していたレーダー兵器システム担当士官のウェイン元中尉の両名にシルバースター(銀星章)を授与している。

エイメン氏は晩年、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、声と運動能力を失ったが、彼はアール・アーメン財団を設立し、エイメンのための音声合成装置と電動車椅子、およびコンピューターを購入するための資金を集めるなど、最後まで僚機の友を助けた。

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