ロシア国防省、シリア駐留軍のセルゲイ・キセル将軍を解任!解任は二度目

ロシア国防省、シリア駐留軍のセルゲイ・キセル将軍を解任!解任は二度目

シリアの反政府軍がシリア第二の都市アレッポを制圧した事を受けて、ロシア国防省はアサド政権を支援するためにシリアに駐留するロシア軍司令官セルゲイ・キセル将軍を解任したと報じられている。

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ロイター通信の12月1日の報道によればセルゲイ・キセル将軍の解任はロシア国防省に近い軍事情報ブロガーであるRybar TelegramチャンネルとVoenny Osvedomitelで報じられた。また、ウクライナ国防省情報総局(HUR)は12月1日、反政府勢力の攻勢の中、シリアにおけるロシア軍の司令官が交代したと報告している。ロシア国防省からの公式発表はまだ何もないが、2017年から2019年にかけてシリアで司令官を務めたアレクサンダー・チャイコ大将が後任として再配属されるという。セルゲイ・キセル将軍が司令官を解任されるのは二度目になる。

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一度目の解任

ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年2月、セルゲイ・キセル中将は第1親衛戦車軍の司令官として、首都キーウの制圧を命じられた。しかし、初期のキーウ制圧は失敗に終わり、同軍は多大な損害を被った。その後、部隊を再編し、ウクライナ第二の都市であるハリキウ攻略を命じられるが、ウクライナ軍の待ち伏せ攻撃などを受け失敗。補給路も遮断されるなどして、第1戦車軍は最初の19日間の戦闘で戦車131両と兵力409名を失った。5月に再度侵攻するもこれも失敗。これまでに少なくとも約半数の戦力を失ったとされている。2022年5月19日、セルゲイ・キセル中将はハリキウ攻略失敗の責任を問われ、第1親衛戦車軍の司令官を解任された。

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二度目のシリア駐留ロシア軍配属

その後、シリア駐留ロシア軍の司令官として配属される。2020年3月にロシアとトルコがシリア国内で停戦合意を仲介したこともあり、ここ数年シリアでは激しい戦闘は行われておらず、左遷に近い形だった。彼がシリアに配属されるのは二度目だ。2017年までシリアに配属され、奇しくもアレッポに展開する部隊を指揮していた。2011年3月から始まったシリア内戦。反政府軍は2012年7月、北西部の要衝でシリア第二の都市アレッポに侵攻。イスラム国も参加し、三つ巴の戦いに。激しい戦闘の末、反政府軍は政府軍を退け、2015年3月までにほぼ全域を反政府軍が支配する。政府軍が劣勢になり、アサド政権の存続が危ぶまれると、アサド政権を支持するロシア軍が2015年9月に軍事介入する。おそらく、そのタイミングでセルゲイ・キセル中将も配属されたと思われる。航空戦力を持たない反政府軍に対し、ロシア軍は空爆を実施。その後、地上部隊と連携し、反政府軍を駆逐していき、2016年12月22日、シリア軍総司令部はアレッポを解放したと発表。反政府軍もこれを認めた。

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この功績が評価されたのか、2018年4月にセルゲイ・キセル中将は第1親衛戦車軍司令官に任命される。第一親衛戦車軍はロシアの首都モスクワの防衛を任せられており、NATOと戦争が勃発した場合、地上反撃の主導を成す部隊で、まさにロシア陸軍の精鋭が集まったエリート戦車部隊の一つだ。その歴史は古く、第二次大戦下の1942年7月のスターリングランド攻防戦で「第1戦車軍」として編成。熾烈を極めた攻防戦で大打撃を受け、一度は解散するも翌年1月に再編される。その後は東部戦線の主要な戦いに参加。127の勲章が授与され、117人がソ連邦英雄の称号を与えられるなど、ソ連軍の中で最も勲章が多い部隊になる。

しかし、セルゲイ・キセルはウクライナで失脚。そして、かつて功績をあげたシリアで再度、任に着くも、反政府軍の侵攻を許し、自信が奪還を主導したアレッポの制圧を許してしまった。ハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)率いるシリア反政府勢力は、 2024年11月29日に奇襲攻撃を開始し、シリア第2の都市アレッポと50以上の町村を占領。アレッポ国際空港を含む主要地域の大半を占拠し、政府軍を撤退に追い込んだ。

ロシアのプーチン大統領はアサド政権を支援すると述べており、支援を約束しているが、ウクライナ戦争が継続、戦力が乏しい中、兵力、軍事物資をシリアに回せる余裕があるのかは不明だ。

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