塹壕が掘れて迫撃砲にも使えるVM-37シャベル迫撃砲

塹壕が掘れて迫撃砲にも使えるVM-37シャベル迫撃砲

塹壕を掘るシャベル。小型で歩兵でも携行できる火砲の迫撃砲。この道具と武器が2つ組み合わさった奇妙なハイブリット兵器があった。それが「VM-37 シャベル迫撃砲」だ。

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ソ連赤軍によって開発

塹壕が掘れて迫撃砲にも使えるVM-37シャベル迫撃砲

VM-37はソ連がポーランド侵攻した1939年にソ連の人民委員会第13研究所によって開発され、一部の戦線に配備。1941年にはスターリンの署名によってソ連赤軍に正式配備された。VM-37はシャベルの刃の部分と柄、プラグ付きの一脚(バイポッド)の3つのパーツで構成されてり、組立分解が可能になっている。これらのパーツの総重量は2.4kgになり、一人で十分携行できる重さになる。

塹壕が掘れて迫撃砲にも使えるVM-37シャベル迫撃砲

ベースはシャベルであり、主に塹壕を掘るために使用された。しかし、いざ、戦闘が始まれば、シャベルは即座に迫撃砲へ変形させることができる。

迫撃砲時

全長520mmの柄の部分は迫撃砲時には砲身となる。37mm口径の砲身と砲尾で構成され、砲尾部分は先の尖ったボールヒール状をしており、これは底盤と固定するためで、先端はネジ式になっている。刃の部分は底盤となり、射撃の反動を地面に伝え、砲身を固定する。刃は7.62mmのライフル弾が貫通しない装甲版で作られており強度が高い。バイポッドは砲身を支える役目を担うが、一脚のため非常にバランスは悪い。

性能

気になる迫撃砲との性能だが最小射程距離は60m、最大射程距離は250mと個人携行の火砲としては十分な射程を有している。しかし、照準装置の類は一切ないため全て目視での照準になるため、小銃擲弾に近く精度は悪い。1940年、フィンランドとの「冬戦争」でVM-37は初めて実戦運用されたが、ここで迫撃砲としての有効性が低いことが明らかになる。37mmと従来の迫撃砲よりも口径が小さいこともあり、砲弾の威力は低く、特に冬においては着弾してもほとんどの破片が雪に埋まってしまい、破砕効果が弱いことがわかる。そのため、有効打を与えるには標的近くに着弾させる必要があったのだが、照準装置もないのでそれも難しかった。下手な鉄砲も数撃ちゃあたるが、射撃するには手で砲身を持たなければならず、連続射撃すると砲身が熱され火傷を負い、冬には砲身が凍結しないように注意しなければならないなど非常に使い勝手が悪かった。そして、次第にソビエト兵はVM-37を使用しなくなる。しかし、このような否定的な意見が多いにも関わらず、「攪乱射撃に有効だ」などという意見もあり、VM-37は生産は続けられ、延べ15,500台も生産された。しかし、独ソ戦が開戦した翌年の1942年2月には結局、有効性が低いとして運用は終了する。VM-37を鹵獲したナチスドイツ軍はこのシャベル迫撃砲を「ロシアの軽迫撃砲(Spatengranatwerfer 161)」と呼んだ。

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VM-37のバリアント

完全に廃れた兵器となったVM-37だが、1978年にTsKIBSOO中央設計研究局のデザイナーであるViktorRebrikovはVM-37の設計に目を付け、歩兵部隊の火力を増加し、塹壕掘りの能力を提供すべく、新たなシャベル迫撃砲の開発を始めた。この時には既にソ連軍にはGP-25というアンダーバレル式の40mmグレネードランチャーが開発配備されており、GP-25をベースに同じライフル砲身と砲弾VOG-25を使用する形で設計された。

この新しいシャベル迫撃砲はVM-37と基本的な設計思想は同じだが、照準器として四分儀照準器が付いており、精度が大幅に向上。最大有効射程も400mと拡大している。破片榴弾であるVOG-25の性能も申し分なく、懸念だった威力も向上、テスト結果も良好だった。

しかし、シャベルとしては柄が太く、標準のシャベル(1.2kg)よりも0.8kg重い。さらにシャベルとして多用すると迫撃砲の性能に影響をきたす恐れがあった。また、戦場では既にグレネードランチャーが配備され、部隊内においてはライフル兵と擲弾兵とで役割分担されており、同様の兵器を持つ兵士の必要性がなかった。結局、このVM-37のバリアントは実現することなくプロトタイプで終わっている。

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