もうすぐ冬ですね。雪がちらつく季節です。北海道、東北、日本海側の地域では多くの雪が積もり、緑や茶色の大地が白銀の大地に変わります。このような条件下では今まで着用していた迷彩服の迷彩効果がなくなり、逆に目立つことになります。そんな雪上では白を基調とした専用の雪迷彩(スノーカモフラージュ)の迷彩もしくは、白系のスーツの出番です。今回はこれからの季節にもってこいの雪迷彩について紹介します。
雪迷彩の歴史
第一次世界大戦
第一次世界大戦頃には既に雪上でのカモフラージュは始まっています。写真はイタリア戦線のオーストリア=ハンガリー軍の山岳部隊です。部隊はスキーを使用して雪上を進んでいましたが、その際、軍服の上にスノーカモフラージュのためのポンチョのような白い衣服を被り、オーバーズボンを着用し、帽子の上に即興の白い布をかぶせて、雪上に同化するようカモフラージュを行っていました。この頃は着るというより制服の上に白い布を被せるようなイメージでした。
第二次世界大戦
第二次世界大戦中の北欧諸国の軍隊は、雪上においてはオーバースーツではなく専用の白い冬軍服を着用するようになります。最初に白い軍服を着用したのはフィンランド軍といわれています。フィンランドの伝説的スナイパー「シモ・ヘイへ」はその白い迷彩から”ホワイト・デス”と呼ばれます。
その恰好を見たドイツ軍やソ連軍も雪上で白軍服を着用するようになります。ドイツ親衛隊はさらに一歩進んで、夏用と秋用に分かれたリバーシブルの軍服と冬用の白い軍服を開発します。他のドイツ軍部隊は、親衛隊ほど装備が充実しておらず、夏の制服で通念を通して戦っていましたが、独ソ戦が始まると1942年から1943年の冬に、ミトン付きの白いツーピースの防護服が支給されます。ヨーロッパに駐留したアメリカ軍は、冬の戦い、装備の準備が不十分でベッドシーツのような大きな白い布で作った即席の白のコートとヘルメットカバーを用意するなどして間に合わせます。この頃の雪迷彩は白一色になりますが、今のような撥水加工の素材ももちろんないため、汚れや血はそのまま付着してしまいました。
ヨーロッパ戦線では戦車や車両、航空機にも雪迷彩が施されます。しかし、面積
大きい戦車などは軍服と違い白一色ではありませんでした。森林、草地、小さな集落、解凍された土地でも迷彩効果を保つため夏のカモフラージュの約4分の1から3分の1を露出させるか、車両全体に濃い灰色または灰褐色の斑点のある白のペイントを施します。また編隊など多数の車両を抱える部隊は全ての車両を同じように塗装するのではなく、いくつかの車両はすべて白、いくつかは緑と白の縞、そのまたいくつかは白と灰色または灰茶色にするなど車両間で迷彩を分けることで遠巻きからの迷彩効果を狙いました。
現在
迷彩の研究、技術が発達するにつれ、白の単一色ではなく専用の雪迷彩が開発されています、背景色が白に置き換えられて、白とグレーの濃淡や木々の斑点などが再現されています。ただ、迷彩が発展した現在でも迷彩服の上に白いパーカーを着用するスタイルは多く利用されています。
おすすめの雪迷彩・BDU
マルチカム ALPINE(アルパイン)
米陸軍にも採用される迷彩パターンマルチカムの雪迷彩です。 雪に覆われた豪雪地帯の環境で迷彩効果を発揮する迷彩パターンになります。雪迷彩は日本では入手しにくいのですが、マルチカムは比較的、入手しやすくなっています。
A-TACS AT-X CAMO
A-TACS ATは北極圏と雪に覆われた環境と調和するように設計されます。僅かなグレーとブルーのトーンと氷白の背景を組み合わせてた雪原における究極の迷彩パターンです。A-TACSの雪迷彩はあまりまだ日本では流通していません。
上に白いスーツを着る
迷彩パターンのBDUを着るのではなく、上から白いパーカーやギリースーツを着用するスタイルです。狩猟用を含めて国内では様々なパターンが出ています。
狩猟の制雪のための冬の迷彩狩猟Ghillieのスーツ白雪姫カモネット服
白い布を被る
スナイパーとかであれば白い布を被るだけも効果があります。
戦術 雪の迷彩 迷彩スカーフ/スナイパーベール メッシュスカーフ
銃の迷彩
銃やエアガンを白く塗装するのもありですが、冬が過ぎた後に塗装が落とすのが大変ですので、銃の雪迷彩は白い布、もしくは白いテープを巻くことをお薦めします。
豪雪地帯では冬季休業するフィールドも多いのですが、北海道・東北・北陸の一部のサバゲーフィールドでは冬季の積雪時でもサバゲーを行うところがあります。雪迷彩でサバゲーにチャレンジしてみてはいかがでしょうか? それに雪がなくても冬に雪迷彩はありだと思います。