アフガニスタン最後の希望、「パンジシールの獅子」の息子アフマド・マスード

アフガニスタン最後の希望、徹底抗戦を示す 「パンジシールの獅子」の息子

反政府勢力タリバンが15日、首都カブールを制圧し、タリバンが事実上、アフガニスタンの全権を握った。将来を悲観し、タリバンによる迫害を逃れるために国外へ脱出しようと空港に集まったアフガン市民の様子は衝撃で、飛び立つ飛行機にしがみついてでも脱出しようとする姿が彼らが待ち受ける運命を物語っていた。ガニ大統領は国外に逃亡し、アフガニスタン政府軍は戦闘を放棄、各州の部族も劣勢とみるやタリバンに寝返った。アフガニスタン紛争が始まった2001年よりもタリバンは支配地域を拡大、かつての対抗勢力、北部同盟・統一戦線もこの20年で政府軍に武力を委譲し、牙を抜かれてしまっていた。アフガン全土がタリバンの手に落ちたと思ったが、一地域だけ、タリバンに対して抵抗を続けている州がある。それが、「パンジシールの獅子」と言われたアフガニスタンの英雄アフマド・シャー・マスード氏の出生地であるパンジシール州(Panshir)だ。そこで指揮をとるのがアフムド・シャーの息子アフマド・マスード氏になり、アフガニスタン最後の希望だ。

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アフマド・シャー・マスード(Ahmad Shah Massoud)

パンジシール州(写真上)はカブールの北東150kmに位置し、周りを山脈に囲まれた渓谷地帯になる。この地で生まれたアフマド・シャーは1979年のソ連侵攻時にムジャヒディンの指揮官としてパンジシールを拠点にソ連軍に抵抗。大損害を与え、撃退したことから 「パンジシールの獅子」と呼ばれ讃えられた。1992年にムジャヒディン勢力が政権を握ると、彼は国防相・政府軍司令官に就任、軍事面で国を支えた。しかし、タリバンの台頭によって1996年に政権は崩壊。彼は生まれ故郷のパンジシールに戻り、対抗勢力として北部同盟を結成。軍総司令官・国防相としてタリバンに抵抗し、 パンジシールと北部一帯の自治を守り、彼のおかげでパンジシールはソ連、タリバンに占領されなかった唯一の地域となった。優れた指揮能力とカリスマ性によって尊敬を集めたアフマド・シャーであったが、9.11の2日前となる2001年9月9日にタリバンが支援するテロ組織アルカイダの自爆テロによって暗殺されてしまう。享年48歳だった。暗殺されていなければ、アフガニスタン紛争後の政権の主要メンバーの一人になったであろう人物であり、士気が低く、バラバラだった政府軍をまとめることができる唯一の人物だったかもしれない。

父の意志を継ぐ アフマド・マスード(Ahmad Massoud)

アフマド・シャーは妻との間に1男4女をもうけていた。1989年に生まれた一人息子のアフムド・マスードはイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校に入学。その後、ロンドン大学に入学すると2015年に戦争学、2016年に国際政治学の学士を取得するなど英才教育を受けた。2016年にアフガニスタンに戻ると父の名を冠したマスード財団のCEOに任命され、2019年にはパンジシールの父の霊廟で後継者として正式に宣言され、父の意志を継ぎ政治の表舞台に身を投じる。父は民主化を支持しており、イギリスで7年学んだ彼も同様だ。そして、部族社会であるアフガニスタンは中央集権化するのではなくカブールからの権力の分散による政府の地方分権化、州に一定の権限を与えることにより効率的な資源配分がもたらされると主張。また、米軍撤退後はタリバンが勢力を盛り返すと考え、腐敗が蔓延する中央軍は直ぐに崩壊しかねないと危惧していた彼は且つて父が結成した北部同盟のような反タリバン大連合の結成を2019年の時点で考えていた。

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パンジシールでの抵抗

アフムド・マスードは少なくとも 8月4日まで首都カブールにいた。父の意志を継ぐ彼はタリバンにとっては仇敵であり、彼を標的したと思しき攻撃を受けるが、間一髪危機を逃れたことを自身のTwitterで述べている。その後、彼はカブールを離れ、父の故郷であり、抵抗の拠点であるパンジシールに副大統領のアムルラ・サーレと共に脱出している。

パンジシールは唯一アフガニスタン国内でタリバンに降伏していない地であり、彼はタリバンへの抵抗を続ける軍の司令官、兵士を集め、タリバンに対して徹底抗戦を行う姿勢を表している。彼は8月16日にLaRegle du Jeuに宛てた声明の中で以下のように述べた。

「私たちアフガニスタン人は、1940年のヨーロッパがのような状況にいます。抵抗しているのは私たちだけです。しかし、私たちは決して屈しない。アフガニスタンの人々、ムジャヒディン、世界中の自由の友!アフガニスタンでの圧政の勝利は奴隷制度と騒音と怒りから始まる。殉教者国家に憎むべき復讐が起こるだろう。国民的英雄である父マスードはアフガニスタン人の自由のための戦いを続けました。父の戦争は私のものになった私と仲間は、奴隷制を拒否するすべての自由なアフガニスタン人とともに、私たちの血を与えることになるでしょう。私は、一緒に共に戦う者をパンシールで求めています。パンシールは、私たちの国の最後の自由地域であり、苦しんでいます。」

彼の下には地元の民兵、アフガニスタン軍残兵の特殊部隊、さらにムジャーヒディーンで元国防相、アフガニスタン軍参謀総長のビスミッラー・ハーン・モハンマディも合流するなど数千人の兵が集まった。

パンジシールはソ連、1996年のタリバンの侵攻も防いだが、今は地理的に完全に四面楚歌であり、空輸などの支援なしで長期の戦闘を継続するのは難しいと思われる。アフガニスタン最後の希望の地が今後、どうなるのか注視していきたい。

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Source
https://www.afpbb.com/articles/-/3242540
https://laregledujeu.org/2021/08/16/37530/afghanistan-ahmad-massoud-nous-restons-seuls-debout-mais-nous-ne-cederons-jamais/

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