ウクライナの戦場で登場した骨董銃器

ウクライナの戦場で登場した骨董銃器

ロシアの侵攻によって始まったロシア・ウクライナ戦争。ドローンに電子戦、SNSを使った情報戦など、新しい戦争の形が垣間見えるこの戦いですが、その一方で、戦場で戦う歩兵の中には100年以上前に開発されたヴィンテージものの銃を手に取って戦う者もいます。ウクライナの戦場での使用が確認された第二次大戦以前の銃器について紹介します。

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モシン・ナガン

ウクライナ東部の親露派が納めるドネツク人民共和国の一部の部隊が使用しているのが確認されたのがロシア帝国で1891年に設計されたモシン・ナガンライフルです。同年から製造配備が始まったこの古い銃は1900年の義和団の乱で初めて実戦に投入、1904年の日露戦争でも使用され、第一次大戦はロシア帝国軍の、第二次大戦ではソビエト軍の主力小銃として使用され、AK-47が登場するまで長らく、主力小銃を務めました。名銃とされ、実は今でも民間市場向けに製造されています。しかし、5発装填のボルトアクション式ライフルは現在の戦場では火力が貧弱です。

KTW モシン・ナガン 狙撃銃 (改) 18歳以上ボルト式エアコッキングライフル

DP28

ウクライナ側で使用が確認されたのがDP28軽機関銃です。ロシア帝国終焉後、1922年に誕生したソビエト連邦で最初に設計された火器になり、1927年に開発、1928年からソ連軍に配備が始まっています。弾薬はドラグノフ狙撃銃でも使用されている7.62x54R弾に、600mmを超える長いバレルにより最大射程は1500mを有します、特徴的な丸いパンマガジンは47発装填と大容量で、600発/分間の発射速度。現在の戦場でも十分な火力を有します。しかし、リロードが面倒、壊れやすいという難点があります。

PM1910

同じくウクライナ側で使用確認されたのがPM1910重機関銃です。1884年にハイラム・マキシム氏によって開発され、マキシム機関銃と呼ばれたこの銃は世界初の全自動式機関銃になり、当時の列強がこぞって採用。派生型もいくつか作られイギリスではヴィッカース重機関銃、そして、ロシアがPM1910重機関銃として製造します。発射速度は毎分500発、有効射程は約2700mとその火力は今なお強力です。しかし、水冷式のため、銃身を冷やすための水、重くてでかい三脚や台車が必要です。昔は拠点防衛用でしたが、陣地転換が多い現代戦では重くて運用が難しい兵器です。

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PPsh

ロシア軍側で確認されているのがサブマシンガン(SMG)のPPshです。第二次大戦時のソ連軍を代表するSMGになり、PPshは安価で生産効率が良かったため終戦までに500万挺が造られ多くの部隊に行き渡ります。ドラムマガジンにはピストル弾の7.62x25mmトカレフ弾71発を装填、毎分1000発という発射速度で当時のドイツ軍を苦しめ、ドイツ兵からはバラライカと呼ばれました。戦後も東側諸国で長い間使用され、最近でも中東の紛争で使用されていることが確認されており、現代でもSMGとして通用する銃です。

S&T PPSH41 電動リコイルシステムガン

PPs43

同じくロシア軍側で使用が確認されたのがPPshの改良版であるPPs43です。1943年にソ連軍で配備が始まった同銃はPPshと比べコンパクトでプラ製パーツも採用するなど軽量化。折り畳み式のストックを採用するなど、重量やサイズは現在のサブマシンガンとさほど変わりません。扱いやすくなった反面、PPshと比べ発射速度が700発/分に落ち、ドラムマガジンから35発の箱型弾倉になり、火力は低下しています。それでも現代の市街地戦で戦う上での十分な性能を誇っています。

この他、第二次大戦時にドイツ軍で使用されたMP38/40サブマシンガンやKar98Kライフルをロシア軍がウクライナから押収したと発表していますが、実際に使用されていたのかどうかは不明です。

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