キャプテン・アメリカは実在した!虚弱な体から、最強の兵士になったオーディ・マーフィ

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キャプテン・アメリカは実在した!虚弱な体から、最強の兵士になった男
To Hell and Back (1955), directed by Jesse Hibbs.© 1955 Universal Pictures

キャプテン・アメリカ』といえば、アメコミから生まれたヒーローになり、映画化もされアベンジャーズには欠かせないメンバーだ。彼は虚弱体質で生まれながら、最強の兵士・スーパーヒーローに生まれ変わった。まさに空想のような物語だが、キャプテン・アメリカは架空のストーリーではなかった。

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スティーブ・ロジャース の経歴

キャプテン・アメリカは実在した!虚弱な体から、最強の兵士になった男
© 2020 MARVEL

まず、キャプテン・アメリカであるスティーブ・ロジャースの経歴について簡単に説明する。ロジャースは1922年(※1)7月4日にニューヨーク市マンハッタン区に産まれる。彼は生まれながらの虚弱体質だった。1941年、彼が19歳の時、アメリカが第二次大戦に参戦。ロジャースはナチズムへの怒りと正義ために軍に志願するも体重40㎏と貧弱な体のため、入隊テストに不合格になる。諦めきれなかった彼は軍の「スーパーソルジャー計画」に志願する。超人兵士に変身する血清の投与を受けた彼は超人的な身体能力を手に入れ「キャプテン・アメリカ」という最強の兵士に生まれ変わる。

※1 映画の時は1918年

キャプテン・アメリカのモデル?オーディ・マーフィ

スティーブ・ロジャースのような虚弱な体から最強の兵士になった実在した人間がいる。オーディ・マーフィ(Audie Murphy)という男だ。彼は1926年6月20日にテキサス州キングストンに12人兄弟姉妹の7番目として産まれる。家庭環境は良くなく、 家は貧しく彼は栄養失調だった。彼が小学生の時には父親が家を出てしまう。小学校5年の時には学校を辞め、綿花を摘む仕事で家計を支えた。時にはライフルを抱えて小さな獲物を狩って射撃スキルを磨いた。1941年、マーフィーが16歳の時に母親が亡くなる。同年に真珠湾攻撃があり、アメリカが第二次大戦へ参戦する。マーフィーは今の生活にサヨナラすべく、軍へ志願する。しかし、165㎝、49㎏と小さな体と未成年という理由で陸軍、海軍、海兵隊と全ての入隊テストで不合格になる。そこで彼は姉に頼み、出生証明書の生年月日を2年改ざんし、1942年6月に陸軍に入隊を果たす。しかし、その小さな体のため、当初、調理場に配属されそうになるが彼は断固として拒否し、歩兵部隊に配属される。

実戦へ

その後、1943年2月にモロッコの第3歩兵師団15歩兵連隊に配属され、同年に7月にイタリアのリカタに上陸する。その後、複数回の戦闘を経験し、彼は三等軍曹までに昇進、分隊を率いることになる。

最初の無双

1944年8月15日、南フランスのラマチュエルのブドウ畑を進軍中に分隊がドイツ軍の攻撃を受ける。2人を殺害し、1人を負傷させた後にドイツ兵二人が降伏したような仕草をしたので、マーフィーの親友が対応したが、撃ち殺されてしまう。この直後、マーフィーはライフルを持って一人で敵陣に突入し、一気に6人を殺害し、2人を負傷させ、11人を捕らえるという正にキャプテン・アメリカばりの無双を繰り広げた。この戦火に対し殊勲十字章が授与され、隊は殊勲部隊章が授与された。

次の無双

彼の無双はこれだけではない。同年10月5日、マーフィーはフランス北東部のオメットの丘に駐留するドイツ軍に一人で向かって行き、無線を抱えながら一時間にわたって部下を指揮し戦った。その間、彼はドイツ軍の攻撃を一人で引き受けた。部下が丘を占領したとき、彼は15人のドイツ兵を殺し、35人を負傷させていた。この行為により、彼はブロンズ・オーク・リーフ・クラスターを獲得、少尉、小隊長に昇進する。

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二度あることは三度ある

10月26日、彼はフランス北東部のブローヴリエアーズに向かう途中、ドイツ軍のスナイパーに狙われ、腰を負傷する。しかし、彼はこの時、撃たれる直前にスナイパーを捕らえ眉間を撃ち抜いている。この負傷により、1945年1月まで戦線を離れることになる。

退院後の1月14日、マーフィーはドイツ国境に近いフランス東部のコルマールにいた小隊に戻る。ここは1945年11月からドイツ軍に占領された地になる。1月24日、 マーフィー達が居た第三師団はドイツ軍の激しい反撃に合う。一緒にいたM10駆逐戦車がドイツ軍の攻撃を受け、激しく炎上。彼は部下に森まで退却するように命じる。しかし、彼は一人その場に残り、M1カービンで応戦、無線を通じて砲撃の指示を行った。ドイツ軍の集中砲火を浴びる中、彼は炎上するM10に昇り、砲塔後部にあった50口径の機銃を握り、前進してくるドイツ軍に撃ち込んだ。一時間に渡って一人で応戦し、ドイツ兵を50人を死傷させた。しかし、弾は尽き、炎上する戦車で両足を負傷しながらも彼は部下を呼び戻し、怪我を無視してドイツ軍を追撃する。最終的にドイツ軍は戦車6両を放棄して退却することになる。

この功績に対し、マーフィーには名誉勲章が授与され、中尉に昇進する。

マーフィーは第二次世界大戦終戦までに33個のメダルを獲得し、その戦いぶりは正にアメリカのスーパーヒーロー「キャプテン・アメリカ」であった。その後、1948年には俳優デビューし、1969年までの間に40を超える映画に出演している。順風満帆の人生のように見えるが退役後は戦時中の怪我が再発し、PTSDに苛まれ不眠症とうつ病に悩まされ、麻薬に依存していた。

キャプテン・アメリカは彼をモデルにしているのか?

虚弱だった体から、正に無双の如き戦果を上げたマーフィー。キャプテン・アメリカのストーリー似ているが、実は全く関係ない。キャプテン・アメリカがアメコミとして登場したのが1941年になる。この時、マーフィーは軍にも入隊していない。マーフィーがキャプテン・アメリカを読んでいたかは定かではない。

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