今から50年前のベトナム戦争で行われた「クリスマス爆撃」

今からちょうど50年前の12月、ベトナム戦争でアメリカ空軍による大規模な空爆作戦が実行された。作戦の期間がクリスマスと被っていたことから「クリスマス爆撃」と呼ばれている。

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ベトナム戦争末期の1972年12月、米国と南ベトナムは北ベトナムとの和平交渉を進めていたが北と南で互いの地位を巡って交渉がまとまらず16日に決裂、北ベトナム側は再交渉の席を設けることを拒否した。国内世論の反発が高まる中、いち早く和平交渉を締結したかったニクソン米大統領は膠着状態を打破するため、北への大規模な爆撃作戦の開始を発表。北ベトナムが和平交渉のテーブルに着くきっかけとなったとされる5月から10月にかけて行われた大規模空爆作戦「ラインバッカー作戦」に続く、二度目の空爆作戦「ラインバッカーII作戦」を開始する。空爆は12月18~29日にかけて行われたこともあり「クリスマス爆撃」とも呼ばれた。12日間に及ぶ作戦は主にタイとグアムに展開していた207機のB-52戦略爆撃機によって行われ、計730回の出撃を行い、ハノイを中心に北ベトナムを空爆。前回のラインバッカー作戦が半年で15トンの爆弾を投下したの対し、本作戦では12日間で2万トンの爆弾が投下され、ベトナム戦争で最も激しい空爆とされている。

この空爆の結果、ハノイは焦土と化し、2000以上の建物、道路や鉄道、発電所といったインフラを破壊。北ベトナム側は1600人以上の民間人が死亡したと発表している。

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アメリカ軍側はも莫大な損害を被る

アメリカ側ももちろん無傷という訳にも行かず、北ベトナム軍の地対空ミサイル、対空砲、戦闘機によって今日の戦争では考えられない損害を出している。作戦では207機のB-52爆撃機と2000機の軽戦術機が出撃したが、内16機のB-52が撃墜されており、1日に最大6機が撃墜されることもあった。その他9機が損傷し、軽戦術機も12機が撃墜されるなど43名が戦死、49人が捕虜となった。

しかし、アメリカの圧倒的な航空戦力と損害を前に北ベトナムは再度、交渉のテーブルに着くことを余儀なくさせる。空爆が終わった12月29日から数週間後、パリで開かれた和平交渉で1月27日、「パリ協定」が調印され、停戦に合意、同年3月、南ベトナム駐留のアメリカ軍が撤退を開始し、同月に撤退を完了した。クリスマス爆撃は協定調印の決定的要因になったと言われているが、結局和平には至らず、撤退後も北ベトナムと南ベトナムとの戦争は継続、北ベトナムが停戦合意を破って南進、アメリカの援助が縮小した南ベトナムは敗退を続け、結局、1975年4月にサイゴンが陥落するまで戦闘は続いた。

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Source

https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Linebacker_II

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