アメリカ海軍は1952年11月18日の英雄的行動に対して、退役海軍大佐E. ロイス・ウィリアムズに海軍長官カルロス・デル・トロから海軍十字章を授与したことを発表した。
これは朝鮮戦争中、3機の戦闘機の師団を率いて7機のソ連軍のMiG-15と戦った功績に対し1953年5月7日に当時のウィリアムズ大尉に授与されたシルバースターメダルをアップグレードしたものである。
「ロイス・ウィリアムズ大佐の功績に関連し、改めて数多くの調査結果を検討した結果、あの空戦は特別で異常なものであると判断した。」とデル・トロ長官は述べ、「朝鮮戦争中、ウィリアムズ大尉は第77任務部隊を敵の攻撃から守るという、重大な任務を担った。私はこの時の彼の個人的な勇気と自己犠牲から国に対して行った勇敢な行動に対して海軍十字章が授与されることを認めた。危険度の高い任務の中でとった彼の行動は、この評価を受けるに値する。」と述べた。海軍十字章は最高位の名誉勲章に次ぐ二番目の高位に位置付けられている。
1機で7機のMig-15とドッグファイト
1952年、当時のウィリアムズ大尉は、タスクフォース第77任務部隊のF9F-5 Panther戦闘機のパイロットとして空母オリスカニーと共に任務に就いていた。1952年11月18日、この日2度目の任務で他の3名のパイロットと共に計4機で北朝鮮の会寧付近で戦闘哨戒飛行中、7機のソ連軍のMiG-15を発見する。アメリカの情報機関の報告によると、その日の早朝、ウィリアムズをはじめとするアメリカ軍機がソ連国境に近い北朝鮮北東部で攻撃を行っていたため、その復讐を図っていたと考えられた。しかし、1機が燃料ポンプに問題が発生したため、空母に戻ることに。もう1機も護衛のために戻らなければならず、圧倒的数的不利だったが、ここで全機戻ると空母が危険に晒されるため、ウィリアムズは僚機と共に残って2機で7機のMig-15と戦う事になる。しかし、Migに発砲し始めた直後、僚機の機銃がジャムってしまう。そのため、ウィリアムズは1機で7機を相手にドッグファイトすることになった。
ドッグファイタは35分間続き、これは米海軍史上最長のドッグファイトとされている。しかし、彼は単機で4機のMiGを撃墜、他の2機にも命中した可能性が高く、内1機はウラジオストクの飛行場に戻る途中に墜落している。戦闘が終わる頃には、彼と一緒に飛行していたMiGは1機だけだった。しかし、彼のF9F-5も弾薬を使い果たし、油圧装置を失うなど満身創痍。なんとか空母まで戻ったが失速を防ぐために高速で着艦することに。彼に怪我はなかったが、彼のF9F-5には実に263の穴が開いていた。その後、機体は海中に投棄され、彼は二度と愛機を見ることは無かった。
この戦いは「航空史上最大の偉業の 1 つ」と言われるほどの功績だったが、公式には朝鮮戦争にソ連軍は参加していないことになっており、当時の国際情勢からソ連との大規模な衝突を引き起こす可能性のある任務は極秘扱いとされ、米国政府はこの戦いを隠蔽。ドッグファイトの事実は米海軍と国家安全保障局の記録からも削除された。ウィリアムズ自身もこの事を口外することは無かった。しかし、この時の戦いはソ連のアーカイブに記録されており、1991年にソ連が崩壊すると、公開され、皆が知ることになる。ウィリアムズに名誉勲章を授与すべきという運動が起こるも、公式記録は削除され、残っていないため、最高の栄誉である「名誉勲章」は授与されず、それに準ずる「海軍十字章」の授与に至った。
ウィリアムズは御年97歳でまだ存命である。
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