敵前逃亡、脱走兵はどうなる?自衛隊と米軍の処罰内容

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敵前逃亡、脱走兵はどうなる?自衛隊と米軍の処罰内容

敵を前にして戦える状態ながら命令に従わず戦闘を放棄して逃げる事を敵前逃亡といい、部隊を勝手に離れ逃亡した兵士は脱走兵という。どちらも重大な軍規違反の一つになる。これらの行為を行った兵士は憲兵に捕らえられ軍法会議に課せられ処罰が下される。戦争映画を見ると逃亡は死刑のような描写をよく見かけるが、実際どのような処罰が下されるのだろう。

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自衛隊の場合

自衛隊員が敵前逃亡となり得ることがあるのは日本が多国から武力攻撃を受けた場合になる。武力攻撃を受ける若しくは受けることが明白な時に自衛隊には内閣総理大臣から防衛出動命令が下るのだが、自衛隊法123条に防衛出動の際の敵前逃亡、脱走に関しての処罰が明記されている。以下に該当すると七年以下の懲役又は禁こに処される。

自衛隊法123条

一  第六十四条第二項の規定に違反した者
  ※隊員は、同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。

二  正当な理由がなくて職務の場所を離れ三日を過ぎた者又は職務の場所につくように命ぜられた日から正当な理由がなくて三日を過ぎてなお職務の場所につかない者

三  上官の職務上の命令に反抗し、又はこれに服従しない者

四  正当な権限がなくて又は上官の職務上の命令に違反して自衛隊の部隊を指揮した者

五  警戒勤務中、正当な理由がなくて勤務の場所を離れ、又は睡眠し、若しくはめいていして職務を怠つた者

2  前項第二号若しくは第三号に規定する行為の遂行を教唆し、若しくはそのほう助をした者又は同項第一号若しくは第四号に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、若しくはせん動した者は、それぞれ同項の刑に処する。

自衛隊法

治安出動の際は5年以下になり、出動内容により刑は軽くなる。また、自衛隊は軍ではないため、軍法会議はない。平時の脱走は脱柵と呼ばれ、停職、又は懲戒免職が課せられる。

米軍の場合

アメリカ統一軍事司法規範によると、敵前逃亡、脱走については次のように定義されている。

アメリカ統一軍事司法規範

1.許可なく、所属部隊、組織、または勤務地から永久に離れている意図で離反、または戻らない行為

2.危険な任務を避ける、または重要な任務を忌避する意図で、所属部隊、組織または任務の場所を放棄する行為

3.手続きなしに他の部隊に入ること、又は除隊手続きが受理されないまま他の部隊から任命される、外国の部隊に入ることは合衆国の許可がある場合を除き、いずれも脱走の罪となる。

4. 軍の将校であって、辞表を提出した後、かつ、その受理の通知を受ける前に、休暇、又は離れる意思をもって職務、任務を放棄をした者は、脱走の罪を負う。

脱走又は逃亡の企てについて有罪を受けた者は、その犯罪が戦時に行われたときは、死刑、又は軍法会議の指示する処罰に処し、脱走又は逃亡の企て平時に行われたときは、軍法会議の指示する死刑以外の処罰に処する。

自衛隊と比べ最高刑は死刑と非常に重い。

死刑が執行されることは稀

戦争が多いアメリカ軍では2000年以降に延べ4万人以上が脱走している。その多くは許可を得ないまま無断で部隊を離れる無許可離隊になり、Unauthorized Absence(UA)や Absence Without Leave(AWOL)と呼ばれるものになる。その多くは米国国内で発生している。海外の戦地は孤立した場所になり、脱走しても危険であり、その上、行く場所、帰る手段も無いのでしたくてもできないのであろう。そのため戦地に派遣される前に逃げるケースが多い。

これだけ人数多いと死刑もいるのでは思うかもしれないが、実際に敵前逃亡、脱走で死刑になったのは第二次世界大戦中の1945年1月にエディ・スロヴィクに執行されて以降一件もない。第二次大戦中には2万人が脱走し、49人の米兵士に死刑判決が出たが実際に執行されたのは彼のみだった。ベトナム戦争では5万人が脱走しているが死刑は執行されていない。

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大戦時の逃亡による死刑執行数

第一次世界大戦

イギリス軍:346人

フランス軍:600人

ドイツ軍:18人

ニュージーランド軍:5人(28人に死刑判決)

アメリカ軍:0人(24人に死刑判決出るも減刑)

第二次世界大戦

日本軍:不明(書類が廃棄されており統計不可)

ドイツ軍:15,000人

アメリカ軍:1人(49人に死刑判決)

ソビエト軍:158,000人(1917~1991年の統計。この間に135,000人の赤軍将校を投獄)

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敵前逃亡、脱走兵はどうなる?処罰は?
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