一人で50人以上の敵を死傷させ、味方を救った日系人兵士の英雄ヒロシ・H・ミヤムラ氏が亡くなる

hiroshi h miyamura
US DoD

アメリカの議会名誉勲章協会は朝鮮戦争の名誉勲章受章者であるHiroshi”Hershey”Miyamura(ヒロシ・H・ミヤムラ)氏が2022年11月29日、アリゾナ州フェニックスで97歳で亡くなったことを発表した。ミヤムラ氏は朝鮮戦争で名誉勲章を受章した生存者2人の内の一人だった。

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経歴

ミヤムラ氏は1925年10月6日にニューメキシコ州ギャラップで日本人の両親の元に生まれた日系二世。協会によれば彼は太平洋戦争中の1945年1月にアメリカ陸軍に入隊し、日系アメリカ人によって編成される第442歩兵連隊歩兵連隊 第100歩兵大隊に配属、機関銃手として訓練を受けた。彼は日本の降伏によって太平洋戦争が終結した直後に陸軍を除隊、後にアメリカ陸軍予備役に入隊する。そして、朝鮮戦争が始まった後に現役に復帰。1950年、北朝鮮に渡った。

朝鮮戦争での活躍

1951年4月24日、第3歩兵師団第7歩兵連隊第2大隊H中隊の伍長として、機関銃分隊のリーダーだった彼は中国人民解放軍が陣地を攻略しに来ると恐れがあるとして、韓国の大田里に隊を率い防御陣形を構築していた。夜間攻撃で敵が侵入してくると、彼は銃剣を振り回し白兵戦を行い、約10人の敵を殺害。その後、負傷者の応急処置に戻り、負傷者の避難を指示した。その後、第二派の攻撃が始まると彼は機銃座に着き、応戦。弾が尽きると侵入してくる敵に銃剣で反撃、彼は陣地が長くはもたないと察し、部隊に撤退を指示。彼は直ぐに二つ目の機銃に着くと部隊の撤退を支援するために一人応戦。敵に囲まれるも弾薬が尽き、陣地が敵に蹂躙され、負傷するまで戦い、50人以上の敵を死傷させ、味方が撤退する時間を稼いだ。その後、彼は中国人民解放軍に捕まり、捕虜収容所に収容された。彼のとった行動は英雄的であるとして名誉勲章の授与が決まるも、まだ囚われの身であったため、それは機密とされた。捕虜になってから28カ月後の1953年8月23日に解放されると1953年10月27日、ホワイトハウスでドワイト・D・アイゼンハワー大統領から名誉勲章を受け取った。

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Source

https://www.prnewswire.com/news-releases/medal-of-honor-recipients-announce-passing-of-medal-of-honor-recipient-hiroshi-hershey-miyamura-301689283.html

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