特二式内火艇カミ|かつて日本で開発された水陸両用車

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特二式内火艇カミ|かつて日本で開発された水陸両用車
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2018年に陸上自衛隊に水陸機動団が創設された。自衛隊版海兵隊とされる同部隊は離島の防衛や奪還を主な任務とされ水陸両用で作戦遂行できる能力を保持している。その要となるのが米国の水陸両用車「AAV7」だ。海岸線から強襲揚陸できるようにと、自衛隊で初めて採用された強襲水陸両用車になり、米海兵隊を始め世界10各国以上で使用されている。しかし、日本にはかつて国産の強襲水陸両用車があったのをご存じだろうか。

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特二式内火艇カミ

第一次大戦後、欧米では水陸両用車の開発が始まり、日本軍も1920年代から開発を始め、1934年には石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が試作機SRIIを開発したが、当時の陸軍はこれといった使い道を見いだせず試作で終わってしまう。その頃、海軍には現在の海兵隊のような陸上戦闘部隊である海軍陸戦隊が常設され、今後の太平洋の展開を睨んで海岸から上陸作戦に使用できるような車両を欲していた。そこで、海軍は陸軍に水陸両用車の開発を依頼。開発元の三菱は九五式軽戦車をベースに開発を行い1941年に試作機「特二式内火艇カミ」を完成させ、翌年から製造される。

サイバーホビー 1/35 WW.II 日本海軍 水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ 海上浮航形態 後期型フロート付き

スペック

特二式内火艇カミは潜水艦でも輸送できるようにと車体の接合部分は全て溶接されており、ハッチなどの開口部にはゴムシールが貼られており、完全に水密化され、潜水に耐えることできた。また、水上航走は各国で主流であった大排気量のエンジンと水掻付きの幅広の履帯による推進ではなく、着脱式のフロート(浮き球)を前後に配置して浮力を確保し、後ろの2軸のプロペラスクリューによって推進するという変わった構造であった。これは耐航性に優れており、荒れた水域での長時間の航行も可能にした。

特二式内火艇カミ|かつて日本で開発された水陸両用車
Photo by thefewgoodmen.com

しかし、その代償として上陸後はフロートを外す必要があり、外すと車体の全長は半分近くになる。再度の取り付けに時間を要するなど利便性が失われた。

ドラゴン 1/72 WW.II 日本海軍 水陸両用戦車 特二式内火艇 カミ 海上浮航形態 前期型フロート付き 1944年ニューギニア 組み立て塗装済み完成モデル

武装に関しては一式37mm戦車砲と二挺の九七式車載重機関銃が搭載されていた。九五式軽戦車をベースにしていることもあり、車というより戦車になる。フロート外すと車体は小さく乗員数は6人と少ない。当時の米軍の水陸両用車であったLTVは30名が乗車できたので輸送能力は低い。速度は陸上では37㎞/h、水上では9.5㎞/hであった。

これといった戦果を発揮できずに終わる

特二式内火艇カミが本格的に製造が始まったの1943年になり、終戦までに180輌が生産された。しかし、生産が始まった頃には既に日本軍は劣勢になり、上陸侵攻する機会は少なくなっていた。実戦に本格投入されたのも既に敗戦濃色な1944年の「サイパン島の戦い」になる。この時、カミを使って夜間上陸を行っている。その後のレイテ島の戦いでは接岸して艦船による大規模な輸送、補給が難しいなか、海上からの輸送手段として使われた。硫黄島、沖縄の戦いにも配備されたが、この時には既に本来の水陸両用車としての使い方ではなく、地上に埋められ、固定砲台として使用された。特二式内火艇の後にも特三式、特四式、特五式内火艇が開発製造されるが、どれも遅きに失し、特二式内火艇以外は数台の生産に終わっている。

現在、ミクロネシアのパラオ諸島(写真上)に朽ち果てた車両があるのと、北千島に配備されてソ連軍に鹵獲された車両がモスクワ郊外にあるクビンカ戦車博物館(写真下)に状態のよい形で残っている。

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