世界最大の口径を誇りながら戦場で一度も使われることなかった迫撃砲がある。それがアメリカの開発した「Little David(リトル・デービッド)」だ。”ビッグ”なのに”リトル”とはいかにもアメリカらしいネーミングのこの兵器はもし、第二次世界大戦で日本本土上陸作戦が行われていたら使用されていたかもしれない兵器になる。
航空爆弾のテスト用に開発
リトル・デービッドはもともと純粋な迫撃砲として開発されたのではなく、別の兵器のテスト用に開発された発射機になる。第二次世界大戦において戦争の主役となった航空機。日増しに航空爆弾の需要は増し、威力を求めて巨大化していった。米軍は日夜、航空爆弾の研究開発を進めるが、空爆時の効果を確認にするには都度、航空機に乗せて、投下される必要があったが、毎回、多くの費用と時間がかかった。そこでもっと簡単にテストができるように開発されたのがリトル・デービッド発射機になる。比較的少量の発射薬で、航空爆弾を上空数百メートルに打ち上げることが可能で、航空機に搭載してから空爆するよりもはるかに安価で手間がかからなかった。さらに天候条件も一切影響しないということもあって、配備されたアバディーン性能試験場でリトル・デービッドは重宝された。
世界最大の口径火砲
リトル・デービッドの口径は36インチの914mm。これは第二次大戦時、世界最大の戦艦「大和」の主砲が18インチ(46cm)、ドイツの世界最大の鉄道砲「グスタフ砲」が31.5cm(80cm)を大きくしのぎ、迫撃砲だけでなく火砲としても最大の口径を誇っており、この記録は現在でも最大のものになる。
リトル・デービッドは前装式迫撃砲の形をとっており、砲身(バレル)の長さは6.7m、重量は約36トン。通常の迫撃砲にはある砲脚(二脚)と底板を持っておらず、砲身は砲台の支持架と固定されている。砲身は6つの油圧ジャッキによって四分円内に稼働。装填時は仰角ゼロで行われ、砲身の先に砲弾をセットしてから砲身を上げる事で砲弾が後ろに下がり装填される。迫撃砲の土台は、地下に配置された大きな鋼製の箱で仰角ゼロで砲身は地上と同じ高さになる。
発射機から武器へ
この世界最大の口径火砲を米軍がただの発射機としておくわけがなかった。第二次大戦時、日本本土進攻を計画する中で、本土の強固な要塞をどう破壊するかを米軍は悩んでいた。そこで、最大1.65トンの爆弾を9.7km先まで発射することができるリトル・デービッドが要塞攻略の地上兵器として有効と目され、1994年3月に兵器化の計画が進めらた。固定式だったリトル・デービッドは移動できるよう36トンのバレルと42トンの土台の2つのピースに分けられ、2台のM25トラクターによって移動できる形に変換。移動時は設営用のブルドーザーとクレーン車も随伴した。設営から発射までには12時間がかかったかが、グスタフ砲が移動込みで3週間かかることを踏まえれば短く、舗装された道路であればどこへでも運搬可能な機動力は魅力だった。しかし、ただでさえ、精度が悪い迫撃砲で、且つ数キロメートル先を狙うとなると照準に大きなずれが生じた。その上、榴弾砲や艦砲射撃、空爆と比較すると射程もそこまで長くなく、設営に人員も手間がかかり過ぎ、速射性もないと、決して使いやすい兵器ではなかった。結局、日本本土進攻前に終戦し、第二次大戦では使用されることなく、1946年にプロジェクト自体が中止になり、兵器としては一度も使用されることなく、その役目を終えている。
リトル・デービッドはメリーランド州アバディーン性能試験場アメリカ陸軍兵器博物館で保管展示されている。