ソビエトの「T-74戦車」はT-64戦車の次期主力戦車として1971年に革新的な設計思想をもった戦車とし設計された。しかし、革新的すぎるがゆえに実現することなく幻に終わった戦車だ。
T-74の設計思想
1960年代、ソ連はT-64を新たな主力戦車として配備を進めていたが、自動装填装置の不具合による搭乗員の死亡事故、サスペンション、エンジンや命中精度に関して多くの問題があった。その上、生産コストの高さもあり一向に配備は進まなかった。東西冷戦の最中、問題を抱えたT-64に代わる次機主力戦車が急務になる。
アレクサンドル・モロゾフが設計した戦車
第二次大戦時の名戦車T-34などを設計したソビエトの戦車設計技師のアレクサンドル・モロゾフは、T-64(写真上)のすべての機能を超える主力戦車としてT-74戦車プロジェクト(Object 450)を国防省に提案した。
T-74は、数々の戦車を開発製造してきたウクライナのマールィシェウ工場のハリコフ機械設計局で設計された。 設計局のチーフデザイナーがアレクサンドル・モロゾフになる。T-64も彼がここで設計した。モロゾフと設計局の目的は、あらゆる点でT-64を上回る戦車を開発することだった。 これは、戦闘特性だけでなく、生産性と運用品質、および装甲を改善し、当時、アメリカと西ドイツが共同で開発していた「MBT-70(KPZ 70)」を上回る戦車をつくることだった。
7つの設計思想
・重量と寸法をT-64以下にする(40トン以下)。
・戦車搭乗員の労働条件(居住性)の改善。
・戦車の高い保護特性の確保。
・搭乗員の誰もが他の業務に置き換えることができる機能性。
・より密度の高いレイアウト。
・あらゆる条件(弾薬の保管、エンジン始動、バッテリー操作)における戦車の戦闘準備を強化。
・あらゆる気象条件での長い行軍および戦闘中の自律性の確保。
古典的な戦車レイアウトの排除
上記の設計を実現するためにモゾロフはこれまでの古典的な戦車のレイアウトを排除し、新しい戦車レイアウトを考案する。従来の戦車の内部構成は、二つの区画に分割しただけになる。一つはパワーパック(エンジン・トランスミッション)と燃料のための区画であり、他は搭乗員がいる戦闘区画である。T-74の設計は、これをパワーパック、弾薬、乗員、燃料、武器と5つの機密性あるコンポーネントに変えた。これにより搭乗員の労働条件とその保護を改善することを可能にし、 同時に、弾薬と燃料の増量も増加すると想定されていた。またタンクの正面のシルエットを64%削減する。設計の簡素化により従来の設計(T-64)と比較して、部品点数を1,300点、技術図面を3,500点、重量を4,980kg削減できる想定になる。
銃、弾薬、および武器(砲塔)の主要コンポーネントは完全に戦闘室から切り離されており、戦闘室は完全に密閉され、防音されてた。そのため、射撃時の戦闘室のガス汚染の問題は自動的に解決された。正面の700㎜の装甲は75度の傾斜で設置された。 これは、すべての口径および弾薬から保護するのに十分であると考えられていた。戦車の搭乗員は運転手、射手、戦車長の3人で構成されている。 彼らは全員、隔離されたコンパートメントに肩を並べて座る形になる。防音のためヘッドセット無しで自由に話したり、コミュニケーションができた。搭乗員は自分の位置から操縦や射撃など複数の業務をこなすこともできる。
スペック
武器:主砲(125㎜または130㎜) 装弾数60発
30mm対空砲
7.62mm機関銃
重量:38.5トン
正面装甲:700㎜
なぜ、採用されなかった
T-74戦車の最大の懸念は独立した無人戦闘モジュールでした。 独立したコンポーネントにより、砲塔は無人になる。照準や操縦には高度な操作と光学機器、車載機器、センサー、および電子機器の使用を必要とした。 しかし、1970年代の科学技術では到底難しい。実際、T-74の設計要望として挙げられたのがレーザー距離計やレーザー照射警告システム、赤外線観測装置、ナビゲーションシステムなどだった。軍からの抵抗、モロゾフの引退、T-72戦車の登場、および国防大臣としてのディミトリー・ウスティノフがT-80を推進したこともあり、このプロジェクトは実現することなく終了した。しかし、この先進的な設計思想は将来の戦車設計に活かされ現在の最新鋭戦車T-14アルマータ(写真下)に活かされているといわれている。