ロシア兵が揃って着ているインナーの水色のボーダー柄のシャツをご存じだろうか?今回新たに動員されたロシア兵、既に戦地で戦っている正規兵も多くが軍服の下にこのボーダーシャツを着ている。戦地には一見そぐわないあのシャツは「テルニャシュカ(Тельняшка)」と呼ばれており、帝国ロシア時代から続く、ソ連軍・ロシア軍の象徴となる軍服だ。
始まりは19世紀
この縞模様のボーダーシャツの起源は17世紀のフランスのブルターニュ地方の漁師の間で最初に着用されとされ、「ブレトンシャツ」とも呼ばれている。その後、19世紀頃になると水に落ちた船員を見つけやすくするための服として、フランス海軍やオランダ海軍など欧州の海軍の間で広まった。当時の海の交易所であったオランダでボーダーシャツを見たロシア水兵たちは、そのデザイン、ウールと綿を交互に織り込んだ生地は保温性が高く、乾燥も早く肌触りも快適ということもあり、こぞって購入した。そして、ある日、船員が皆ボーダーシャツを着るの見たコンスタンチン・ニコライエヴィチ ロマノフ大公がこのシャツの利便性をロシア皇帝に進言し、1874年に海軍船員の正式ユニフォームとしてベストを意味する「テルニャシュカ」が採用されることになる。
二度の歴史上の大転換で軍の象徴に
その後、1905年に日露戦争に敗れると多くの海軍水兵がテルニャシュカを着て復員。そこで、このボーダーシャツが海軍の制服というのが民衆の間でも深く浸透する。そして、このボーダーシャツを軍の象徴、そして英雄視することになる出来事が起きる。
一度目は1917年のロシア革命だ。第一次大戦時で疲弊するロシアでは国内の不満が高まり、デモとストライキが全土に広がった。ニコライ2世は軍にデモを鎮圧するよう命じるも、一部の軍は民衆側についた。その軍の中にはバルチック艦隊もあり、目立つテルニャシュカを着て妥当王政に向けて戦う姿は国民から英雄視された。
そして、二度目が第二次世界大戦での東部戦線になる。日本人が記憶する第二次世界大戦というと太平洋を舞台に戦艦や空母同士が戦う海戦だが、欧州を舞台にした第二次世界大戦、特にソ連側の東部戦線はほぼ地上戦がメインであり、ソビエト海軍の出番は少なかった。そのため、水兵たちは小銃を手に取り、地上戦に参加。この時、陸軍の地上用の軍服ではなく、彼らの多くは地上では目立つテルニャシュカを含む海軍の制服で戦った。257人を狙撃した有名なソ連軍のスナイパー「ヴァシリ・ザイツェフ」は太平洋艦隊の下士官であったが志願してスターリングラード攻防戦に参加。彼はこの時、海軍の誇りとしてテルニャシュカを着用して戦っていたとされている。
革命、そして祖国のために戦ったというこの2つの出来事から「テルニャシュカ」、ロシア軍の象徴、英雄、勇気のシンボルとされている。
所属によって違うボーダーの色
1959年には海軍以外では初めてロシア空挺部隊(VDV)に「テルニャシュカ」が採用されている。その理由は明らかになっていないが、海軍の海兵隊(海軍歩兵)の姉妹部隊が理由というのが一つと、ロシアの特殊部隊スペツナズにも採用されており、「テルニャシュカ」はエリート部隊の証という説もある。ただ空挺部隊でも着れるのは水上にパラシュート降下を行った隊員だけとされている。現在、この「テルニャシュカ」には計6色があり、部隊によって色が違う。
ダークブルー
昔から海軍が着用する色で、海軍歩兵も同じ色を着用している。
ブラック
同じ海軍でも潜水艦部隊は黒を着用
ブルー
空挺部隊(VOV)が着用。テルニャシュカを来た空挺隊員がパレードに度々参加していることもあり、テルニャシュカのカラーとして浸透している。
レッド
ロシア内務省のスペツナズが着用
グリーン
ロシア連邦保安庁(FSB)のスペツナズや国境警備隊が着用
オレンジ
ロシア非常事態省のスペツナズが着用