アメリカ陸軍のデルタフォース、米海軍のチーム6 DEVGRU(デブグル)。この2つは数ある米軍の特殊部隊の中でも最強の隊員が集まった最高峰の部隊になる。この部隊に入れるのは優れた軍人の中でも本当一握りになるのだが、この両方に入隊した唯一の隊員が実在する。
異なる軍の特殊部隊に入隊するのは稀
デルタフォースは米陸軍になり、DEVGRUは米海軍と2つは異なる軍の特殊部隊である。たいていの軍人は1つの軍で軍務を全うするのがほとんどで異なる軍の特殊部隊に入隊すること自体が稀である。
どちらも最高位の特殊部隊
デルタフォース、DEVGRUともにTier1に分類される特殊部隊になり、統合特殊作戦コマンド指揮下の特別ミッションユニット(Special mission unit:SMU)になる。米軍内の中でも最高の部隊だ。デルタフォースの隊員のほとんどは同じ米陸軍内のグリーンベレー、レンジャーから選ばれたエリートになり、DEVGRUはネイビーシールズ内の上位1%から選ばれたエリートになる。どちらも軍の中の頂点の特殊部隊になる。通常ここまで来た隊員はそこで軍務を全うし、退役しても軍には戻らず、CIAやFBIといった法執行機関に務めるか、PMCなど軍歴を活かせる一般企業に入社することが多い。
唯一の男 ケビン・ホランド
ケビン・ホランドは高校を卒業するとアメリカ海軍に入隊。1988年に海軍特殊部隊ネイビーシールズの選抜訓練に参加する。80人で始まった訓練だったが、翌年1989年7月の卒業時にはケビンを含め8人しか残っていなかった。ケビンは晴れてシールズの入隊資格を満たし、8人のメンバーは揃ってシールズのチーム8に配属される。その後、ジョージア州フォートベニングの米陸軍空挺学校を卒業、晴れてチーム8の正式メンバーになる。
イラクに派遣
1990年、湾岸戦争が勃発するとケビンとチーム8はイラクに派遣される。砂漠の嵐作戦が始まると、部隊は北イラクに配置された。ケビンはそこで偵察と狙撃任務を与えられた。そこでの任務が評価されケビンは海軍功績賞を授与され、終戦後にインディアナ州アッタベリーの海軍特殊戦狙撃兵学校に送られる。そこをケビンは優等で卒業し、最優秀射撃手賞を受賞する。
DEVGRUに入隊
1992年になるとケビンは海軍特殊戦開発グループ DEVGRU(Development Group)の入隊審査を受ける。見事、審査を突破したケビンはチーム8を去り、米海軍特殊部隊の最高峰であるチーム6DEVGRUに入隊する。
退役後は民間事業に
DEVGRU入隊してから3年後の1995年にケビンは軍を退役する。その後は父親と一緒に民間事業に携わり、平和な日々を送っていた。しかし、ある出来事がきっかけでケビンは再び軍へ戻ることを決意する。
9.11テロ
2001年の9.11テロが起き対テロ戦争が始まるとケビンは直ぐに昔の指揮官に電話をし、もといた部隊への復帰を願い出た。しかし、既に部隊はアフガニスタンに展開していた。指揮官には1993年のソマリアで戦ったデルタフォースの友人がおり、デルタフォールへの入隊をケビンに勧める。
デルタフォース入隊へ
ケビンはデルタへの入隊を決めるも元DEVGRUだからといって、入隊審査がパスされるわけではない。しかも、ケビンには6年のブランクがあった。ケビンは他の候補者116人ともに選抜審査に参加する。一か月後に残ったのは僅か16人しかいなかったが、その中にはもちろんケビンもいた。晴れて、ケビンは米陸軍特殊部隊の最高峰であるデルタフォースに入隊。史上初めてデルタフォースとDEVGRUに入隊を果たした隊員になった。
ケビンはその後、中東に20回以上派遣され、2000を超えるミッションをこなした。2011年3月に外国人戦闘グループ排除の任務にあたったケビンは左胸を撃たれてしまう。負傷後も交戦し、自力で救助のヘリまで向かい一命をとりとめるがそれが最後の任務になる。2013年にケビンは再び軍を退役するが、それまでの期間をほぼ傷のリハビリに費やしていた。ケビンの傷は生き残る者が少ない重傷だったのだ。
ケビンは30を超える勲章を受章し、その中には「作戦において英雄的、かつ名誉ある奉仕を行い、成果を挙げた者」に授与されるブロンズスター7つと、「名誉戦傷章」である2つのパープルハートが含まれている。
現在
ケビン・ホランドは現在、爬虫類迷彩で有名なKryptek Outdoor Group(クリプテック)で研究開発担当兼副社長を務めており、戦場で培った豊富な経験と知識を新しい商品開発に活かしている。
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