世界初の空母はいったいどれなのか?航空機を搭載する航空母艦の建造が始まったのは第一次大戦時から戦後にかけてになり、大国間でこぞって開発が行われた。当時の空母の建造には大きく2つの手法があり、既存の艦を空母に改修する方法と、最初から空母して建造する方法と2つがあった、この2つの違いにより、世界初の空母の定義が異なるのだ。世界初といわれている空母4隻を紹介する。
鳳翔(ほうしょう)-日本
日本海軍初の空母で1920年12月に起工、1922年12月に竣工している。鳳翔は初めから空母として設計された船としては世界で初めて竣工した船で、純粋な航空母艦としては世界初の船だ。そのため鳳翔こそ世界初の空母という意見は多い。鳳翔の全長は168m、排水量7470トン、搭載数19機と軽空母の部類になり、後に赤城、加賀という大型空母が誕生すると鳳翔は第一線からは外れ、太平洋戦争では護衛艦としての任務が主で目立った戦果は挙げていない。1943年からは練習艦となり、艦載機の発着艦訓練、標的の的とし使用され瀬戸内海から出ることは無かったため、撃沈を免れ終戦を迎えた、生き残った数少ない日本海軍艦の一つ、終戦後は復員艦として利用され、1947年に解体されている。
起工 | 1920年12月16日 |
進水 | 1921年11月13日 |
竣工・就役 | 1922年12月27日 |
ハーミーズ (HMS Hermes)-イギリス
イギリス海軍の空母で世界で初めて空母として建造が始まった船。1918年1月起工と鳳翔よりも先に建造が始まるが、竣工は1924年2月と後発だった鳳翔が先に完成してしまい、竣工ベースの世界初の純粋空母の座は鳳翔に譲ることになってしまう。当時、日本はイギリスと同盟関係にあり、同艦を参考に鳳翔は設計されていた。これにより鳳翔の工期は短縮されるわけだが、先に完成するとは皮肉な話。だが、ハーミーズが無ければ鳳翔は完成しなかったわけで純粋な空母として世界で最初に起工された功績は大きい。第二次大戦時はインド洋に派遣され、当時、イギリス領だったセイロン島(現在のスリランカ)沿岸を航行中に南雲機動部隊の空襲をうけ、沈没している。
起工 | 1918年1月15日 |
進水 | 1919年9月11日 |
竣工・就役 | 1924年2月18日 |
ラングレー (USS Langley)-アメリカ
ラングレーはアメリカ海軍初の空母。その前はプロテウス級給炭艦”ジュピター”と呼ばれていた。ジュピターは1911年10月に起工、1913年4月に就役し、第一次世界大戦に参加している。終戦後の1919年7月に空母への改修が決定、1922年3月に就役しており、空母としては鳳翔より早く、ベースとなっているジュピターの就役をふまえると世界で一番早く空母になった船といえる。しかし、速度が15ノットと致命的に遅く、後発のレンジャーやヨークタウン級といった大型空母が登場すると第一線から退き、練習艦となる。太平洋戦争勃発時にはフィリピンに停泊しており、その後は偵察部隊の支援艦、航空機の輸送艦となり、南太平洋を転々とする。1942年2月26日、カーチス P-40戦闘機27機を輸送中に日本軍の空襲を受け、航行不能に陥り自沈している。
ジュピター | ラングレー | |
起工・改修 | 1911年10月18日 | 1919年7月11日 |
進水 | 1912年8月14日 | 1920年4月11日 |
竣工・就役 | 1913年4月7日 | 1922年3月20日 |
アーガス (HMS Argus) -イギリス
アーガスはイギリス海軍初の空母で、世界で初めて登場した空母でもある。もともとは客船「コンテ・ロッソ」と名で1914年に建造が始まるが、第一次大戦が勃発すると、イギリス海軍が1916年9月にこれを買い取り、空母への改修を行う。1918年9月にアーガスと名を変え、竣工するも、既に第一次大戦末期で戦場への投入は間に合わなかった。黎明期の空母、ベースが客船ということもあり、兵装や防護は弱く、その後、ハーミーズなど後発の空母が登場する練習艦として運用される。しかし、第二次大戦が始まり、ハーミーズ、アークロイヤルなど他の空母が撃沈されると戦場に投入され、護衛や軍用機の輸送などを行う。その後、1943年に再度、練習艦に戻され、終戦を迎え、1946年に解体されている。世界初の空母ながら、第一次大戦から第二次大戦にかけて何気に最も長く運用された空母でもあた。
コンテ・ロッソ | アーガス | |
起工・改修 | 1914年 | 1916月9月 |
進水 | 1917年12月2日 | |
竣工・就役 | 1918年9月15日 |