ドナルド・トランプ米大統領がイスラエルとシリアで領有権を争っているゴラン高原のイスラエルの主権を認める発言をしたことが問題になっています。ゴラン高原は中東戦争以降、イスラエルとシリアが領有を争う緊張が続く地域。そんな場所に当時、大学生だった私は一人で向かいました。
そもそもゴラン高原の問題とは?
※訳 52年が経ち、米国はゴラン高原の主権を正式に認める時がきた。これは戦略的にも安全保障の点でもイスラエルと地域の安定化にとって重要だ!
ゴラン高原はシリアの領土であった場所を1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領。第四次中東戦争で一時的に奪還をしましたが、その後、直ぐに再占領され、以後、イスラエルが占拠し続けている場所です。
1981年には一方的に併合しましたが、国連は国際法的に無効とし、アメリカを含め、国際社会は併合認めていませんでした。現在も地域は国連の監視下にあります(PKOとして自衛隊が派遣されていましたがシリア内戦の悪化で2013年に撤退)。それを、トランプ大統領が国際社会を無視して認める発言をしたのが問題なのです。
ゴラン高原の場所は?
シリア、ヨルダン、レバノン、イスラエルの4か国に囲まれており、高原ということで地域の戦略上の要衝であり、水源としても重要な場所です。
ゴラン高原に行った時の話
今ではシリア全土は内戦のため、渡航は難しいですが、内戦前は普通に観光できました。私は2004年にシリアを旅行しています(シリア内戦は2011年から)。その際に以前から興味があったゴラン高原が観光できると聞いてシリア側から入りました。
立ち入りには政府の許可が必要
観光できるいっても、フラッと行って、フラッと立ち入れる場所ではありません。立ち入るためにはシリア政府に許可証をもらう必要があり、首都ダマスカスの内務省の事務所に行って申請し、許可証をもらいます。場所が場所だけにいろいろ申請書類が必要なのかなと思ったらパスポート提示だけで、10分ほどで許可証はもらえました。そもそも観光客が行くような場所ではないので当日の申請は私だけでした。
ダマスカスからゴラン高原へ
首都ダマスカスからは車で1時間ほど。私はセルビス(乗合いバス)を使って移動したので、若干時間がかかりました。乗合いバスと行っても普通のワゴンで現地の人と相乗りです。お爺さんがいきなり車内で嘔吐したのに周りが平然としているのにびっくりしたのを覚えています。
ゴラン高原のクネイトラという場所に着くとゲート前で現地人はみんなバスを降ります。中に入る外国人の私だけパスポートと許可証のチェック。そこで、ガイドという名のサングラスかけた監視役的な人が車に乗ってきました。広いワゴンの中は運転手とガイドと私だけ。奥に進むと車を降ろされ、そのままガイド役が歩いて案内をしてくれます。
ゴラン高原の非武装地帯クネイトラとは
ゴラン高原内にあり、1974年までイスラエルが占領した地域で現在は国連監視下の非武装地帯になっています。同年にイスラエル軍が撤退の際に爆撃され、シリア政府がイスラエルの残虐行為の記録として、当時のままに残したエリアになります。
場所によっては建物はきれいに残っていますが、私とガイドの2人以外は人が全くいなく、殺伐とした雰囲気は本当のゴーストタウンです。民家、病院、教会、モスクといったものがことごとく破壊されいます。
クネイトラの街並み。道路は整備されているが、建物は当時の爆撃跡のままです。(※現在は内戦の影響でどうなっているか分かりません。)
病院の外壁は銃痕、爆撃跡が生々しい。
中にも入れます。中も銃痕や爆発跡なのか、壁の破壊がすごいです。病院内も攻撃されたのでしょう。
当時は国連が監視していましたが、今は内戦で無法地帯なのか、落書きがひどいようです。
教会はわりと綺麗に残っていました。モスク跡は見れませんでした。あのあたりはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の緊張関係が長年続いているのいろいろ思惑があるかもしれません。
もっと、いろいろ見たかったのです、ガイドという監視役がいるため、基本自由に行動ができず、彼の案内するままに行くしかありませんでした。勝手にどっか行こうとすると「そっちはダメだ!」。そもそも国連監視下の非武装地帯ですし、向こう側はからはイスラエルのスナイパーが監視しており、不用意な行動すれば事故が起きるので当然といういえば当然です。そもそもガイド料、入場料は一切かかりませんでした。ただ、私一人しかいないこともあり、ガイドの早く切り上げたい感を言動からひしひし感じ足早に周ったことを覚えてます。
平穏なシリアを知っている私はシリア内戦はずっと気がかりです。シリアで出会った人たちはみんな優しく、当時の市場は活気があり、歴史的建造物が多数ある素敵な街がありました。トランプ大統領の発言が新たな火種にならない事を祈ります。