本当に白黒写真?第二次大戦の光景が鮮明に蘇る

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本当に白黒写真?第二次大戦の光景が鮮明に蘇る
facebook.com/HistoryisallaboutColour/

鮮やかにカラーリングされた写真。この写真が撮られたのは何と70年以上前の第二次大戦中だ。この時には既にカラー写真は発明されていたが、一般的になったのは1960年代以降からになり、戦時中のほとんどの写真は白黒やセピア色ばかりだ。鮮明に色が残った写真は非常に少ない。しかし、上の写真はカラーで撮られた写真ではない。あるアーティストが色を再現して白黒写真に着色した一種のアート作品になる。

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背景にあるストーリーも蘇らせる

オランダ在住のグラフィックアーティスト、イラストレーター、スケッチアーティストのJakob Lagerweij(ジェイコブ)氏は第一次世界大戦と第二次世界大戦に撮られた白黒写真をベースに着色してカラー写真として蘇らせる作品を作っている。
最近ではデジタル技術やAIを使って簡単に白黒写真をカラー写真化させる技術がある。これであれば僅か数分から数十分でカラー化させることが可能ではあるが、これらの技術では細部の細かい色合いを表現しきれなかったり、間違った着色をされる事もある。

ジェイコブ氏のやり方はこのようなデジタル技術とは違う。海外のインタビューで語ったところによると、彼はそのようなデジタル技術は使わず、実際に使用されていた当時の兵器や軍服、部隊章など細かい部分の色までを多大な時間を使ってリサーチして、事実に基づいた色を手作業で着色している。自身のアーティストとしての才能や技術も使い、影や濃淡も再現している。

正確な色が分からないもの、不明確な場合は作品は公開しない。また、彼は単純にカラーリングするだけではなく、その写真の背景にあるストーリーも大事にしており、投稿する際は必ず、その写真の物語も記載する。

例えば、この写真。手前に居るのは一見、日本兵に見えるが、その先には見えるのは米軍の戦闘機と爆撃機だ。写真と合わせて、説明には以下のように書かれていいる。

1945年8月9日、日本軍捕虜の和田稔司令官は、USMCのPBJミッチェル爆撃機に搭載されたインターホンを使って、フィリピンのミンダナオのジャングル奥深くにある日本の第100歩兵師団の位置について、通訳に指示を伝えました。
和田稔はアメリカ市民で、日本で教育を受け、日本陸軍の下級将校を務めた。彼は1945年にフィリピンで捕虜となり、米爆撃機の乗組員に極めて重要な情報を提供し、航空機を率いて日本の第100師団司令部を攻撃し、大成功を収めました。彼の動機は、太平洋戦争の早期終結を支援することで、命の損失を最小限に抑えたいということだった。

第二次世界大戦中、推定33,000人の日系人が米軍に従軍し、うち2万人が陸軍に入隊した。約6,000人の日系アメリカ人が米軍情報局 (MIS) で働いていました。約800人が戦死した。

日系アメリカ人は一般に、太平洋戦域で戦闘の役割を果たすことを禁じられていた。しかし、西部戦線で戦ったドイツ系やイタリア系のアメリカ人にはそのような制限はなかった。第二次世界大戦中に陸軍航空隊に所属していた日系人は5人の記録しか見つかっていない。
日系人部隊の第442歩兵連隊は米軍史上最も勲章を受けた部隊となりました。関連した第52野砲兵隊は悪名高いダッハウ強制収容所を解放した。日系人部隊には他に、第100歩兵大隊、ヴァーシティ・ヴィクトリー・ボランティア、軍情報部などがある。

日本の写真は今のところない

上の写真は戦後に撮られた日本人の写真家とのことだが、日本及び太平洋戦争の写真は少ない。ジェイコブ氏がオランダ人ということもあるかもしれないが、多くの写真はヨーロッパ戦線の写真になる。情報が多く、リサーチがしやすい側面があるだろう。数少ない太平洋戦争の写真は今のところ全て米軍のものだけだ。日本から写真や情報を提供すれば、旧日本軍の写真もカラー化してくれるだろうか。

ジェイコブ氏の作品はインスタグラムとFacebookから見る事ができる。

instagram(@colourisedpieceofjake)

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https://taskandpurpose.com/history/wwii-photos-colorized-jakob-lagerweij

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