外人部隊というとフランス外人部隊が有名だが、ヨーロッパにはフランス以外にも外人部隊がある。イギリスのグルカ部隊、そしてスペインの外人部隊 (Legión Española)だ。スペイン外人部隊は他の国の外人部隊同様にエリート兵士の集まりだが、世界で最もセクシーな部隊として有名だ。
スペイン外人部隊の歴史
第一次世界大戦後の1920年、アフリカ大陸では欧州列強によるドイツの旧植民地の分割を始めとした取り合いと独立の紛争が起きていた。 当時、モロッコの北端と南端はスペインの植民地なり、ヨーロッパに最も近い同地は領有争いと、先住民のベルベル人による反乱が起きていた。徴兵制を布いて国内から兵を集めたが、将校も兵士も練度が低く、無能だった。そこで北アフリカで専門に戦う部隊としてフランス外人部隊を参考に、同年1月にスペイン軍のアフリカ陸軍の一部隊として同地に志願制の外人部隊が創設される。部隊は「ラ・レギオン(La Legión)」と呼ばれた。早速、同年にモロッコでの第3次リーフ戦争に投入される。当時はまだ、人種差別が色濃く、反乱軍のベルベル人に対し彼らは遺体の切断、略奪、略式処刑など非人道的な行為で恐れられた。
外人は少なかった
同隊は植民地・旧植民地から兵士を募集したが、外国からの募集は容易ではなく、結局、半分以上がスペイン人、南米に移住したスペイン人二世なり、外国人は4分の1しかいなかった。その外国人のほとんどは旧植民地のキューバ人だった。
独裁者フランシスコ・フランコの軍団
創設時の部隊のリーダーの一人に後のスペインの国家元首となるフランシスコ・フランコいた。フランコは創設メンバーの一人になり、ラ・レギオンを率いてアフリカで頭角を現すと、1936年までに陸軍参謀総長にまで昇進する。翌年、モロッコで軍が左派政権に対して反乱を起こすと右派のフランコは反乱軍を率いて、スペイン本土に上陸、スペイン内戦が始まる。実戦慣れした強力なラ・レギオンとドイツ、イタリアの支持を受けてスペイン全土を制圧、 1938年、一方的に国家元首として就任し、それから1975年まで37年間という長期に渡り独裁政治を布いた。 ラ・レギオンは内戦中にフランコの軍として民間人に銃を向け虐殺を行った。フランコの独裁時代を知る者は今でもラ・レギオンを忌まわしい過去と見る人も少なくない。
1986年に外国人の募集は停止されたが、2000年代に入って徴兵制が廃止されると、再度入隊募集が始まった。基本的にスペイン語のネイティブスピーカーが求められ、主に中央アメリカと南アメリカ出身者が多数を占めている。
胸元を晒すセクシーなユニフォーム
ラ・レギオンの制服は大胆でセクシーとして有名で女性や一部の男性を虜にしている。パステルグリーンの制服はスーツのようにへそ上ぐらいまでしっかり胸元が空いており、ボタンで留めることはできない。そこからは筋肉隆々の胸元ががっつり見える。シャツもパンツもタイトなストレッチになっており、体の線がしっかり見えるのも特徴だ。女性兵士も同じ制服を着ている。もちろん、戦闘時にこの制服を着ることはなく、その時は他の部隊と同様に迷彩服を着る。