戦争の後遺症シェルショックとは?

戦争の後遺症シェルショックとは?
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戦争による兵士の後遺症というと”PTSD(心的外傷後ストレス障害)”が有名ですが、第一次世界大戦時の兵士の後遺症は”ShellShock(シェルショック)”と呼ばれていました。これは当時の戦争の戦い方、環境に起因し、砲弾ショック、戦場ショックとも言われ戦闘ストレス反応の一種です。

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塹壕戦と砲撃の嵐

戦争とはいかなる時代も悲惨ですが、とりわけ、第一次世界大戦は爆薬、戦車、航空機、毒ガスなど使用した世界最初の近代戦争であり、工業化されたこの戦争は約1000万人の戦死者、そして、2000万人の戦傷者を出します。その戦傷者の中には傷や身体的損傷とは別に、心と体調に大きな変調をきたす者が多くいました。

第一次世界大戦の戦争の主流は塹壕戦です。雨や雪が降る仕切る中、兵士は狭い塹壕に引きこもります。その間に度々訪れる激しい砲撃。大戦初期の1914年9月のマヌル会戦ではわずか5日間で43万発の砲弾が使用されました。第一次世界大戦の死傷者の60%は砲撃によるものとされ、この会戦では英仏独の三カ国は50万人以上の戦死者を出し、多くの兵士が負傷しました。だが、こういった死傷と別に、めだった負傷が無いにも関わらず、多くの兵士が塹壕から盲目、聴覚障害者、無言、または麻痺状態、精神異常で戻ってきました。当時の医者はこの理由が全く分かりませんでした。その後、100万人の戦死者を出した1916年の第一次大戦の最大の会戦「ソンムの戦い」では1.6万人もの兵士が同様の症状を訴えます。

砲撃が理由

当時の医者はこれらの兵士の症状は砲撃が原因と考えました。当時の塹壕戦では兵士一人あたり、数十、数百発の絶え間ない砲撃の下に晒されます。例え塹壕に入っていようと、空気中を切り裂く衝撃波を兵士はうけます。医者たちはその衝撃波が脳や神経に影響を与えたと考え、1917年に英国の心理学者で医師のチャールズ・マイヤーはこれらの症状「シェルショック」と名付けました。そこで医者たちはショックにはショックでと電気ショック療法で治療を行います。

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臆病者

戦場でこれらの症状を起こす兵士を軍当局は心が弱い臆病者と呼びました。実際戦場で泣きわめく者や恐怖に竦んで動かない者、脱走する兵士が多かったからです。中には命令不服従で射殺されたり、軍法会議にかけられ処分される者もいました。シェルショックの兵士に同情はされず、効果的な対策も行われませんでした。

砲撃が理由ではなかった

だが、過度な砲撃に晒されていない者、戦争が終わった後にシェルショックの症状を起こす者が出始めてきます。更に人一倍、戦意が高いはずの将校にその症状が多いことが分かります。そこで、これが砲撃が理由ではないことが分かってきます。塹壕という狭くて過酷な環境の中に数日間、時には数十日間も引きこもり、昼夜関わらず砲撃を受け、仲間に砲撃が直撃し、体がバラバラになる姿を見るなど過度なストレスにさらされ、そしていつしか精神は限界にたっし、崩壊します。将校に症状が多かったのは部下への模範と常に気持ち高く持ち続けるなど、よりストレス負荷が高ったためと言われています。将校の症状の比率は一般歩兵の四倍でした。

しかし、心理学、精神医学が未熟な当時において”心的外傷後ストレス障害”という概念はありませんでした。PTSD(心的外傷後ストレス障害)と病状が理解されたのはベトナム戦争後の1980年代になります。

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http://www.bbc.co.uk/insideout/extra/series-1/shell_shocked.shtml

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