戦場で銃が武器の主役になったのはここ200年ほどの間。それまで人類は数千年に渡って剣を使い戦ってきた。剣はだれでも扱えるが銃と違い技術がものをいう武器で、その剣技によって時代に名を馳せた者がいる。最強の剣士といわれた6人を紹介する。
宮本 武蔵
日本人であれば誰もが知る剣豪・剣術家であり、最強の剣士として世界的にも有名。佐々木小次郎との巌流島の戦いは世界一有名な決闘かもしれない。1584年に生まれた武蔵は13歳で初めての決闘を行い勝利。以後、29歳まで60回の決闘を行い無敗を誇った。時折、戦場で戦うこともあったが、決闘の多くは全国を放浪し、各地の猛者に決闘を挑んでいた。武蔵といえば二刀流で二刀を用いる二天一流兵法の開祖でもある。晩年は水墨画や彫刻など芸術家としても活躍した。自身の剣術の奥義をまとめた兵法書『五輪書 』を執筆している。
ドナルド・マクベイン
1664年にスコットランドのインバネスで生まれたドナルド・マクベインは、ヨーロッパ歴史上最高の剣士の一人と見なされている。イングランド軍に入隊するとスペイン継承戦争などいくつかの戦いに参加するも軍に馴染めず退役。フェンシングの達人でもあった彼はフェンシングスクールを開く。その後、剣闘士として活躍し、約100回のデュエル(決闘)を行い、名の知れた多くの剣闘士と戦いながら一度も負けることは無かった。
ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ
1745年に白人貴族とアフリカ人奴隷女性との間で混血として生まれる。奴隷の子ではあったが貴族としての教育を受けた彼はヴァイオリン奏者、作曲家として有名になり「黒いモーツァルト」と呼ばれた。そんな彼がヴァイオリンと合わせて習っていたのがフェンシングで10代の頃にはすでに剣の達人になっていた。黒人の子という自身の出生をバカにする者は剣でねじ伏せた。その後フランスで最も有名なフェンシング剣士の1人となり、ヨーロッパの王貴族が主催する試合に度々参加しては勝利し人種差別を剣で制した。フランス革命時には1000人の黒人部隊を率いて戦っている。
エル・シッド
11世紀にスペインはカスティーリャで生まれたエル・シッドは当時ヨーロッパの最高の剣士とされている。彼が生まれたイベリア半島は長らくイスラム教徒のムーア人の侵略を受けていた。彼はその剣の腕前と戦略家としての知識をもってムーア人の支配からイベリア半島を解放するために戦ったことで知られ、今でもスペインの英雄として讃えられている。実際には彼は傭兵であり金のために戦っていたが、人望が厚く多くの兵士が彼を慕い戦った。彼はDestreza(デストレザ)というフェンシング剣術を使い、使用した剣「ティソーナ」はブルゴス博物館に展示されている。彼の活躍は叙事詩『わがシッドの歌』で語れ継がれている。
アキーレ・マロッツォ
1484年にイタリアのボローニャ生まれ、イタリアのフェンシングマスターでボローニャ大学の剣術指南役。最古のフェンシングマニュアル(論文)「Opera Nova dell’Arte delle Armi」を記したとされている。その著書はルネッサンス時代の剣術を要約したもので、剣だけではなく、ダガー(短剣)、両手剣、盾の扱い方、格闘姿勢の詳細な概要、寝技のテクニック、さらには左利きの人を倒す方法の解説までイラスト付きで詳細に記すなど剣術・格闘術を始めて書籍化した。
塚原 卜伝
戦国時代の剣士、兵法家で鹿島新当流の開祖。戦乱蔓延る1489年に鹿島に生まれ、幼い頃から卜部(神祇官 )の父のもとで鹿島古流、義父のもとで天真正伝香取神道流を学ぶ。17歳で武者修行にでると剣術に磨きをかけた。あまたの真剣勝負、合戦を経て、200人以上を切ったが、その間一度も刀傷を負わなかったという伝説を持つ。その後、故郷に戻るとト部の伝統の剣を伝えるという意味でト伝(ぼくでん)と名を変える。晩年には挑む若い剣士を戦うふりして島に置き去りにすることを「戦わずして勝つ」無手勝流といったエピソードもある。戦いに明け暮れながらも83歳まで生きた。