世界で最も強力な兵器「ツァーリ・ボンバ」その衝撃波は世界を三周する

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Photo by Federation of American Scientists

世界で最も強力な兵器は核兵器である。しかし、そんな核兵器の中にも核分裂の方法によって原子爆弾、水素爆弾、中性子爆弾といった形で分けられ、それぞれで威力は異なる。広島、長崎に落とされたのは原子爆弾、いわゆる「原爆」だ。一瞬にして多くの人命を奪った原爆は最悪最強の兵器だったが、これよりも強力な兵器とされているのが水素爆弾だ。その中でも人類史上最も強力とされているのがソ連が開発した水素爆弾「ツァーリ・ボンバ(Tsar Bomba)」だ。

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米ソの開発競争で生まれた核爆弾の皇帝

第二次大戦末期の1945年、米国はマンハッタン計画のもと、世界最初の核兵器である原爆を開発、同年の8月に広島と長崎に原爆を投下した。それから4年後の1949年にはソビエト連邦も原爆の開発に成功する。そこから米ソによる核兵器の開発競争が始まる。おりしも冷戦時代の最中、両国は競うように、より強力な兵器を求めるが原爆には威力の限界があった。そこでさらに強力なエネルギーを得られる水素による熱核反応を利用した水素爆弾の開発に着手する。1952年に米国は世界最初の水爆実験を行い、水爆においても先行したかのように思えたが、翌年にソ連も水爆実験を行う。しかもソ連は小型化に成功しており、兵器という観点ではソ連が先行した。その後も両国の開発は進み、爆撃機に搭載できる戦術兵器にまで発展する。そして、その過程で作られたのがソ連の「ツァーリ・ボンバ(Tsar Bomba)」だ。この名前は「核爆弾の皇帝」を意味している。

原爆の3800倍の威力

米ソによる冷戦の緊張が高まる1961年、ソ連の科学者たちは水素爆弾「ツァーリ・ボンバ」を開発した(ソ連での正式名所は「RDS-220」になり、ツァーリ・ボンバは西側諸国が付けた名前)。この水爆は「核分裂-核融合-核分裂」という3段階の核反応により理論上100メガトンというエネルギーを生み出す破壊力をもっていた。その威力は広島に投下された原爆「リトルボーイ」の3800倍にも及ぶ。これは半世紀たった今でも人類史上最大の威力を擁する兵器である。しかし、そのあまりにも強力な破壊力のため、そのまま使用されることは無く、唯一行われた実験では半分の50メガトンに抑えて行われた。

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実験

実験は1961年10月30日にモスクワの北東にある列島ノヴァヤゼムリャの核実験場で行われた。全長8メートル、直径2メートル、総重量27トンと巨大なツァーリ・ボンバはTu-95長距離爆撃機に搭載され、高度34,000フィート(約1万メートル)上空から投下、水爆は気圧センサーによって13,000フィートで爆発するように設定されていた。自由落下では爆撃機が爆風に巻き込まれる危険性があったため、爆撃機が投下から爆発までに十分に距離(約50㎞)が取れるよう、水爆にはパラシュートが取り付けられた。それでも搭乗者の生存率は50%と予測されていた。

威力

上空4kmの高さで爆発すると高さ60km以上のキノコ雲を生み出し、発生した火の玉の半径は4.6km、きのこ雲の直径は96kmにも及んだ。爆発の閃光は1,000 km離れたところでも確認できた。落下地点(グランドゼロ)から55kmの距離にあった全ての家屋は破壊され、150kmにあった木造建築の家屋も被害にあった。100km離れていても人は三度の火傷を負った。三度は火傷の分類の中でも最もひどい具合を指す。ガラス窓は900kmの距離で粉々になった。衝撃波は三度に渡って計測され、これは衝撃波が地球を三度周回したことを意味している。衝撃波は地震も引き起こしマグニチュード5〜5.25を計測している。

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実験としては成功したが、兵器としては課題があった。爆撃機から投下するという戦術は対アメリカに対して有効とはいえず、運ぶまでに撃墜される可能性が高かった。しかし、弾道ミサイル化するにはまだ巨大過ぎた。結局、兵器化は断念したが、米国を始め西側を牽制する意味では大成功した。

1963年には部分的核実験禁止条約 (PTBT) によって、水爆を含め大気圏・宇宙空間・水中での核実験は禁止された。しかし、地下での実験は対象外であったため、その後も各国による水爆の開発実験は続き、1967年に中国が実験に成功、2016年には北朝鮮が実験に成功したと発表している。

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https://www.atomicheritage.org/history/tsar-bomba

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