国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN)は人質救出作戦・対テロ作戦用に1974年にフランスに創設された特殊部隊になる。 国家憲兵隊から選りすぐりの者が選抜されたエリート集団はどんな困難な任務でも遂行する能力を持っている。そんな彼らが作戦遂行の為にイスラム教に改宗するという驚きの事件が過去にあった。
police-nationale.netフランス国家憲兵隊治安介入部隊「GIGN」は国家憲兵隊の特殊部隊だ。GIGNはフランス語のを”Groupe d’intervention de la gendarmerie national[…]
サウジアラビアで起きたテロ事件
1979年にサウジアラビアのメッカにあるアル=ハラム・モスクが武装集団により占拠される事件があった。1979年11月20日、午前中の祈りを行うために、約5万人の人々がイスラムで最も神聖な場所に集まっていた。その巡礼者に混じって死者の体を乗せた輿を担いだ集団がいた。しかし、それは実際は遺体ではなく、人型に包まれた武器だった。先着してた仲間と合流した500人は二手に分かれて広大なモスクの占領を開始した。神聖なモスクの中で流血は禁忌されており、モスクの警備は手薄で500人の武装集団は 迅速かつ容易に現場を完全に制圧することができた。手筈として初めに彼らは聖職者を拘束したが、その際、命令にを拒否した者を射殺してしまう。その結果、多くの巡礼者が異変に気づきモスクを脱出したものの、約1,000人もの人々が人質となった。
最初に、約100人のサウジアラビア警備員がモスクを取り戻そうとしたが、ミナレットにスナイパーを構え守りを固める武装集団に作戦は失敗し多大な犠牲をだしてしまう。その後、国王の命を受けサウジアラビア軍、国家警備隊、警察の約5万人による奪還作戦が翌21日に行われる。装甲車、ヘリも参加し、国王は奪還に絶対的な自信を持っていたが、これも多数の犠牲を伴い失敗に終わってしまう。その後24日まで攻防は続き、ようやく地上を制圧するも武装集団は地下に潜り、完全制圧は困難を極めた。そこでサウジアラビア政府は同じイスラム教の国パキスタンの特殊部隊SGSとフランスの国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN)に支援を求めた。GIGNには対テロ特殊部隊としての経験、知見をもとに現場での作戦計画、援助を求めた。しかし、ここで大きな障害が生じることになる。GIGNのフランス人がキリスト教徒でメッカに入ることができなかったのである。
メッカにイスラム教徒以外は入れない
日本のパスポートは世界で最も自由な旅行できるパスポートと言われている。そんなパスポートでも入国が難しい国の一つがサウジアラビアになる。サウジアラビアは敵対国でもなく、どちらかというと友好国になる。最近ではようやく緩和されつつあるが、ビジネス、イスラム教徒以外の入国は大変難しい国というのは変わらない。特にイスラム教徒の聖地とされているメッカに異教徒を入るがことは許されていない。イスラム教を信仰していないと、都市にさえ入ることが不可能になっているのだ。この地は預言者ムハンマドが生まれた土地になり、全イスラム教徒の聖地になり、不浄の地、それがテロのような緊急重大事項でも不変で、異教徒は一切入ることが許されなかった。そのため、GIGNが現場に入るためにはイスラム教徒に改宗する必要があった。現場に派遣される3人は、作戦の為に改宗することになる。しかし、実はイスラム教の改宗方法は意外と簡単で自分ひとりで信仰告白(シャハーダ)をするだけで実は1分足らずで済むのである。そこに誠の信仰心が必要かどうかは分からないが、改宗した隊員たちは現場に到着後に作戦計画を立て、約50人のパキスタンのSSG部隊と1万人のサウジアラビアの兵隊により2週間後の12月4日に完全制圧に成功する。この改宗の事実は当時は極秘事項になっていた。フランスはカトリック教徒が多い国であり、当時は今ほど他民族、他宗教に寛容ではなかったし、サウジアラビアも改宗したといっても作戦のための形骸化したもので無用な批判は避けたかったのだろう。
この事件がきっかけでサウジアラビアはより厳格な「シャリア」(イスラム法)をしき、女性の行動の制限、強力な宗教警察、目には目といった報復主義やむち打ちなど厳しい体制、処罰を施行することになった。(2010年には緩和)
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