「衛生兵(メディック)!!」という叫び声。撃たれた、負傷した兵士の助けを求める声で、戦争映画ではよくみるシーンだ。衛生兵・メディックは、戦場における応急処置や外科治療、予防医学の専門訓練を受けた兵士のことを指す。いわば戦場の医者(ドクター)であり、英語圏では「ドク」という愛称で呼ばれることも多い。戦場以外の後方でも医療業務を行う。
衛生兵に攻撃してはいけない
衛生兵というと、赤十字の腕章を巻いて戦場で負傷した兵士を手当てして回るイメージが強いと思う。1929年に施行された国際条約のジュネーブ条約の傷病兵保護条約では衛生兵は非戦闘員という扱いで保護の対象になり、衛生兵には攻撃してはいけない決まりになった。これにより衛生兵に対する故意の攻撃は戦争犯罪となる。非戦闘員扱いの衛生兵は戦場では武器を持たなかった(又は自衛の為の拳銃のみ)。とはいっても戦場に居ては、兵士との区別はつきづらい。各国は衛生兵を目立たせるためにヘルメットや腕章に赤い十字のマークを描いた。これによって一目で衛生兵が分かるようになった。しかし、これが第二次世界大戦では仇となる。
衛生兵の有無は部隊の生存率を大きく左右するようになり、劣勢となる敵は意図的に衛生兵を狙うようになった。故意とされる攻撃も表向きは誤射とうたっており、混乱した戦場でそれを立証することは不可能だった。第二次大戦中の日本軍はこのような戦法を取っており、直ぐに識別できる米軍の赤十字マークは仇となった。
衛生兵が武器を手に取り攻撃をした場合、それはジュネーブ条約の保護を放棄したことになり、攻撃対象になる。
今は戦場で腕章は付けない
現代では衛生兵が戦場で赤十字の腕章を付けることはない。他の一般歩兵と同じ格好をし、米軍であればM4カービンを携行し、治療中はライフルを手放すため、サイドアームとしてハンドガンも装備している。基本、他の歩兵(ライフルマン)と変わらない装備を身に着けている。負傷兵が出ない限りは衛生兵には歩兵としての役割が課せられる。
現代においては国対国の戦争は起こりにくい。相手にするのは正規兵ではなく、民兵やテロ組織だ。彼らはジュネーブ条約の内容を知らないし、知っていも遵守しないことは明白で、そこにルールはあったものではない。赤十字のマークは第二次世界大戦のように狙われる可能性が大きい。また、歩兵と変わらない武器を装備している時点で衛生兵は保護の対象ではなくなり、一兵士とカウントされ、攻撃されても文句は言えない。
衛生兵の持ち物
衛生兵の持ち物は想像以上に多い。これらは決まった手順でバックパックに梱包する必要がある。いざという時にどこに何かあるか分からないということはあってはいけないし、治療に必要なものから順番に取ることができる。携行するものはミッションに応じて衛生兵が選ぶことができる。ここでは基本的な救命キットの一覧をまとめた。
・止血帯
・緊急外傷用包帯
・ガーゼ
・バンドエイド
・テープ
・止血剤
・消毒用アルコール
・注射器、注射針
・熱傷被覆材
・安全ピン
・ゴム手袋
・トリアージカード
・マーカー
・聴診器
・血圧計
・パルスオキシメータ:
動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を測定するための装置。
・耳鏡
・検眼鏡
・体温計
・救急外傷ばさみ
・サバイバルブランケット
・低体温予防管理キット
・組み立て式担架
・輸血チューブ
・生理食塩水
・ヘタスターチ(Hetastarch):血液希釈液に用いる血漿増量剤
・乳酸リンガー
・カテーテル
・FAST1骨内注入キット:
重篤症状において、動脈を使って輸液ルートを確保できない場合でも、簡易的な方法で迅速に輸液投与するキット
・チェストシール:
胸部開放創の閉塞シール。胸部の開放創において緊張性気胸にならないようできるだけ早く閉塞し、胸腔への空気の吸入を防ぐために用いられる。
・経鼻エアウェイと 口腔確保器具 :
負傷者が自分の気道を確保できない場合、 口を開いたままにし鼻腔から咽頭にチューブを差し込み気道を確保する。
・輪状甲状間膜切開キット:
外科的気道確保として 甲状間膜 を切開するためのキット
など
薬
・モルヒネ
・抗生物質
・解熱剤
・鎮痛剤
・鎮静剤
・便軟化剤
・下痢止め
・胃薬
・咳止め薬
・アドレナリン
・抗ヒスタミン薬
・麻薬拮抗薬
など
これらをバックパックに詰めて装備すると下の写真のようになる。
そして、これ以外にライフルや銃弾も携行するので荷物としては凄い量になる。
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衛生兵を描いた映画『ハクソー・リッジ』
第二次世界大戦時に実在した米軍の衛生兵デズモンドの物語を描いた映画。彼は人を殺さないという信念のもと、戦場では武器を持たずに、ただひたすら負傷した兵士を手当てし続けた。それは敵であった日本兵でさえも。