傭兵は世界で2番目に古い仕事。歴史に残る傭兵軍団

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傭兵」とは利害関係のない国や指導者にお金やその他報酬をもらう代わりに武力を提供し、戦闘に参加する雇われ戦士になる。戦いの中にあるのは忠誠心や国や家族を守るためではなく報酬と契約になる。今ではPMC(民間軍事会社)が一定の社会的認知と地位を得ており「傭兵」という言葉はあまり使われなくなった感がある。しかし、傭兵という職業は世界最古の専門職業の一つであり、二番目に誕生した職業といわれていおり(ちなみに一番目は売春婦といわれている)、その歴史は古い。特に古代・中世では特定の国や王と提携しない戦闘を専門とする傭兵軍団によって戦争の勝敗が左右することは多く、戦果を上げれば領地をもらえ領主になれるなど認められる職業でもあった。今回は歴史に残る傭兵軍団5選を紹介する。

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The Apiru/Habiru(アピル/ハビル)

紀元前14世紀頃にいたとさせる傭兵軍団。当時のエジプトの古代文書の中に「アピル(ハビル)」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていた記されている。レバント(今のシリア・イスラエル一帯)をさまようアジア人のグループとされ「略奪者」または「強盗」「殺人者」を意味する言葉でも描写されている。彼らは国のつながりから分離し、牧草地と略奪のために旅をする国のない人々の大きなグループになり、社会の縁に住む半遊牧民の集団になる。そして、アピルは、時として中近東やエジプトの軍隊で傭兵として仕え、土地のない望ましくない人として記されている。社会的に見過ごされた彼らが、最も望まれ認められたのはその武力だった。

The Ten Thousand(テンサウザンド)

日本語に訳すと「一万」という名の古代ギリシアの傭兵軍団になり、文字通り1万人の兵力を持った軍団であった。歴史家のクセノポンの「アナバシス」の記録によると、一万は、キュロスが兄であり大王のアルタクセルクセス2世をペルシャの王位から追放するため契約したギリシャの戦士の集団だった。紀元前401年、ギリシャの兵士(多くはペロポネソス戦争の退役軍人)は、バグダッド近郊で王の軍勢と衝突。キュロスと共に反乱軍と一緒に戦った一万の兵士たちはペルシャ軍と勇敢に戦うも、キュロスは戦闘で殺され、将を失った一万の指揮官は撤退を交渉しようとしたが殺害される。生き残った一万の兵士は団結し、敵の領土からの脱出を試みる。それはバビロニアの中心からトラペズスのギリシャ黒海港まで9か月にも及ぶ厳しい道のりだった。その間には幾度となる待ち伏せ、天候と飢餓にも苦しめられた。安全な土地に着いた時、彼らは4分の3を失っていた。彼らの撤退に関する物語は、その後、英雄主義の古典的な物語になった。

The Varangian Guard(ヴァランジ親衛隊)

もともと海賊や商人として南に冒険していたスウェーデンのヴァランジアン人になり、親衛隊はビザンツ皇帝の個人的な護衛として雇われたバイキングの傭兵の一団になる。親衛隊は、10世紀後半にはバシレイオス2世の元に就く。 バシレイオス2世は、腐敗しやすい自国民の兵士よりも野蛮だが強いバイキングの傭兵たちを好んだ。親衛隊は反乱を鎮圧するのに有用であることがわかり、200年以上にわたって東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの警備としての役割を果たす。親衛隊に入るのは簡単ではなく、入隊前に腕前を示さなければならず、はれて認められたとしても入隊料を支払わなければならなかった。彼らには十分な報酬と地位を与えこともあり、非常に忠誠心が高かく、中にはノルウェーの王位を得た者もいた。しかし、1203年にコンスタンティノープルでの任を解かれると彼らの時代は終わりることになった。

The White Company(ホワイトカンパニー)

ジョン・ホークウッドが指揮する悪名高い傭兵軍団で14世紀のイタリアで戦った。完全な営利目的の傭兵になり、また彼らは「フリーカンパニー」と呼ばれ、完全に独立した組織体系をとっており、傭兵としての仕事が無い時は略奪を行い生計を立てていた。ジョン・ホークウッドは、イギリス人で百年戦争で功績をあげ、ナイトの称号を得る。その後、イタリアに渡りホワイトカンパニーを指揮すると、彼らはすぐにイタリアのエリート傭兵軍団として知られるようになる。ホワイトカンパニーの構成は、イギリス人、ドイツ人、ブルトン人、ハンガリー人の混合だったが十分に訓練された傭兵は、ロングボウとランスと新しい武器の組み合わせに迅速な戦術、厳しい環境下でも落ちない戦意は、会いする敵を恐怖に陥れた。また当時のイタリアは国内が多くの小さな州と都市国家に分裂し民の忠誠心は風の如く速く揺れ動く時代。そこにホークウッドは忠誠心ではなく戦闘のプロして戦うことに利益を見つけた。1363年から1388年までホワイトカンパニー、教皇庁、ミラノ市、フィレンツェ市のために、または敵として自身の利益のために戦った。

The Swiss Guard(スイス衛兵)

スイス警備隊は中世から今でも現存する傭兵部隊になる。 今日のスイス衛兵はバチカン市国とローマ教皇の警護をする保護者として知られている。その歴史はルネサンス時代まで遡る。15世紀から19世紀にかけて、100万人を超えるスイスの傭兵がヨーロッパの軍隊で戦った。スイスの傭兵は、重装甲の鎧を装備する敵に対してパイクとハルバードといった武器を最初に使ったヨーロッパの兵士の一つになり、1400年代までに、彼らの革命的な戦術と完全な無慈悲さは、お金で買うことができる最高の傭兵部隊としての評判を得た。その強さに眼を付けたバチカンは1506年に150人のスイス傭兵部隊を教皇の護衛として雇うことにする。その後、スイスが傭兵として働くことを禁止した後でも、部隊はバチカンの警護兵としてスイス人の衛兵を雇い続けている。スイス衛兵になる条件は、ローマカトリック教徒であり、身長が174㎝以上で、軍隊のバックグラウンドを持っている必要がある。彼らの役割は儀式的なものが多いが、過去には教皇を守るために戦ったこともあり、1527年には教皇クレメンス7世を守るために戦い衛兵の5分の4近くが殺害された。

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