いろいろあった「東京オリンピック2020」だが、日本のメダルラッシュもあり、なんだかんだ盛り上がっている。オリンピックを生で観戦することは叶わなかったが、在宅ワーク、ステイホームの影響もあってこれまでにないほどオリンピックをTV観戦している気がする。 「東京オリンピック2020」 は1年遅れで何とか開催できたが、32回目を数える夏季オリンピックにおいて過去には第一次世界大戦の影響で1916年の第6回ベルリン大会が、第二次世界大戦の影響で1940年の第12回東京大会(開催地返上となったヘルシンキも中止)、1944年のロンドン大会が中止となった。オリンピック初の中止となったベルリン大会だが、実は第一次世界大戦終戦後の1919年に代替えのような形で大戦時の連合国の同盟国が一堂に会してパリで陸上競技大会が開催された。
軍人のための大会
第一次大戦は1918年11年に終戦したが、戦いを終えたヨーロッパでは多くの兵士が暇を持て余していた。そこで連合国は1916年に開催される筈だったベルリンオリンピックが中止なったことを受けて、国際的なスポーツ競技大会を開催することを決定。キリスト教青年会(YMCA)と米軍の協力を受けて、パリの東にあるヴァンセンヌの森に2万人を収容するスタジアムを建設。スタジアムにはアメリカのヨーロッパ派遣軍総司令官であった”ジョン・パーシング将軍”の名がつけられた。大会には第一次大戦時に連合国側で参戦した28カ国が招待され、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、ニュージーランド、ポルトガル、ポーランド、セルビア、ルーマニア、チェコスロバキア、ギリシャ、グアテマラ、ニューファンドランド、ヒジャーズの18カ国、1500人が参加。”Inter-Allied Games”名で1919年6月22日から7月6日にかけて開催された。参加できるのは戦時中に軍隊に在籍していた、または従軍したことのある軍人のみが参加できた。しかし、そのほとんどは過酷な塹壕戦には参加していない兵士だったとされている。昼間は競技、夜は社交界が行われ、各国が交流を深めた。
大会では合計19の競技が開催され、陸上競技、水泳、射撃、野球、サッカー、バスケ、レスリングとそのほとんどは現在のオリンピックの公式種目となっている競技だったが、”アメリカンフットボール”、”綱引き”といったいくつか今のオリンピックにはない競技もあった。そして、今では考えらない競技が一つあった。それが陸上競技の一つだった「Hand-grenade throwing(手榴弾投げ)」だ。実戦とは異なり、投擲の正確性を競うのではなく、現在の砲丸投げや槍投げのように飛距離を争った。もちろん投げるのは本物ではなく、訓練用の模造品。優勝したのは74.95mの世界記録を出した米軍の従軍牧師フレッド・トムソンでアメリカが表彰台を独占した。戦争が続いた1900年代前半に手榴弾投げが競技として行われるのは珍しいことではなく、当時、軍事色が強い国では、手榴弾投げが競技、体育種目の一環として扱われており、ドイツや日本でも体育種目の一環として手榴弾投げが行われていた記録がある。元プロ野球選手の沢村英二は74.95m超える78mの手榴弾投げの記録を達成されているが、手榴弾の遠投をし過ぎて肩を壊したとも言われている。