映画やドラマで警察官が銃を発砲するシーンをよく見かけるが、実際に発砲することは稀で世界的に見ても職務中に銃を一度も発砲せずに職務を全うする警官が殆どとなる。日本の警察官の場合は尚更、その割合は大きい。発砲どころかホルスターから一度も銃を抜くことない警官も多いだろう。実際、日本の警察官の発砲件数は警察庁によると2013~2017年の5年間で10件になる。
しかし、いざ、警官が発砲したとなると、犯人が射殺されることは多い。日本では昨年2018年に熊本県と埼玉県、宮城県で刃物を持った男に向かって警察官が発砲した。3つの事件とも撃たれた男は死亡している。このような事件の時、いつも思うのが、手や足を撃って、相手の動きを止めることができなかったのか。しかし、いろいろ考察してみるとこれは難しいことが分かる。
動く相手を狙うのは難しい
射撃訓練の的は動かない標的になるが現場で相対するのは動く人間だ。上下左右に動くし、予測しえない動きもする。そのような相手に対して狙いを定めて手や足だけを拳銃で狙うのは到底不可能になる。ターゲットが小さければ小さいほど、狙う事は困難で逆に外せば他の人に危害を与える可能性がある。狙うターゲットが大きければ大きいほど当たる可能性は高く、自ずと的が大きい胴体を狙うことになる。そもそも射撃訓練の的を見て欲しい。小さな標的を狙って射撃するのではなく、胴体を象った標的の中心線を狙う訓練を受けている。
冷静に狙える精神状態ではない
警官は多くの人が逃げる中、武器を持つ犯人に向かって対峙しなければならない。そのような犯罪者に対処する訓練を受けている。しかし、実際に感じる恐怖やストレスを訓練で体験することはできない。ましては日本においてはそのような事件に直面するのは稀だ。現場ではアドレナリンが分泌して過度なストレスを受ける。その中で冷静に判断して向かってくる相手の腕や足を撃つことは不可能だ。よっぽどそういった現場になれていない限りは無理で日本で慣れることはないだろう。アメリカでもそのような警官はほんの一握りしかいない。
市民と自分の命を守らなければならない
犯人を制圧する時の理想は銃を使わないことだ。素手や警棒で制圧できれば理想だろう。そのような訓練も受けている。しかし、いざ刃物を持った相手が暴れていた時に優先すべきは一般人への被害を防ぐことが最優先で、危害が及ぶ前に確実に制圧できる方法を取ることだ。次に優先すべきは自分の命になる。素手や警棒は接近しなくては相手を制圧することはできなく、確実性は低く、相手が体術で勝るかもしれなく、自分の身を危険に晒す可能性がある。前述した3件の事件も犯人が刃物を持って警察官に襲いかかっており、警察官の生命が危険に晒されていた。相手を確実に止めなければ自分がやられてもおかしくない状況だった。
エアガンやスポーツシューティングを撃ったことがある人なら、正確に狙うためのフォーカス(照準)がどれだけ難しく、時間が必要かを知っているだろう。自分の命や他の罪のない人の命が危険に晒されている時に一瞬の判断で手や足に狙いを定めるのはどれだけ難しいか想像は付くと思う。発砲や射殺を正当化するわけではないが、このような難しい状況が現場では発生しているのだ。
埼玉県で刃物を持って暴れる男に対して警察官が発砲して、死亡してしまう事件があった。警察官は口頭による再三の警告、銃を向けての警告、上空への警告射撃を行うも、男は刃物を持って向かって来たため警察官2人はやむを得ず発砲。うち1発が腹部[…]