GLOCKの生みの親、ガストン・グロック氏が亡くなる

GLOCKの生みの親、ガストン・グロック氏が亡くなる
©2023 GLOCK, Inc. 

世界的に有名な拳銃「Glock」を開発したガストン・グロック氏が今月27日に亡くなっていたことが分かった。94歳だった。

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オーストリアの銃器メーカーであるグロック社はウェブサイトでガストン・グロック氏が12月27日に亡くなった事を発表した。死因などは明かされていない。同社はグロック氏に下記の追悼の言葉を送っている。

シンプルに、完璧に
創業者のガストン・グロックは、この基本理念に基づき、1980年代に小型武器の世界に革命を起こしただけでなく、ハンドガン業界のグローバルリーダーとしてのGLOCKブランドの確立に成功しました。彼の世界的に有名なGLOCK Perfectionは、妥協のない品質と最大の顧客満足を表しています。ガストン・グロックは、生涯を通じてGLOCKグループの戦略的方向性を示し、将来に備えました。彼のライフワークは彼の精神の中で続くだろう。

彼が1980年代初めに発明したGlock17は当時主流だったハンマー式ではなくストライカー式、素材にスチールではなくポリマーフレームを採用。また当たり前だったデコッキングレバー、ダブルアクション、セーフティも無くしトリガーだけで制御するトリガーセーフティを採用するなど、その画期的な構造は銃業界に革命を起こし、当時新興メーカーだった同社の銃は一躍世界に広まった。今では米国の法執行機関の65%がGlockを採用し、軍の中でもサイドアームとして採用が広がっている。

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ガストン・グロックの生い立ち

Glock17
©2023 GLOCK, Inc. 

グロックは1929年7月19日にオーストリアのウィーンで生まれた。第二次大戦末期には10代でドイツ軍に徴兵されている。戦後、エンジニアの学校に入り、卒業後はハンドドリルの会社に入社している。その後、1963年にグロック社を創業する。創業当時はカーテンロッドの製造を行っていたが、1970年代にオーストリア軍向けのナイフの製造を行うなど軍事分野に進出する。グロックは52歳まで銃器の製造に関わることは無かったが、1980年にオーストリア軍がP38に代わる新しい拳銃の募集を開始したことで拳銃の開発に着手。ナイフのハンドル部分を製造するために使用していた射出成型機(プラスチック製品を加工する機械)を使い、当時、銃のフレームで主流だったスチールではなく、ポリマーフレームの銃の開発を試みる。デコッキングレバー、ダブルアクション、セーフティも無くしトリガーだけで制御するトリガーセーフティを採用するなど、それまでの銃の概念にとらわれない設計を取り入れた。開発には1年かかり、1981年4月にはオーストリアで特許を申請、同社が取得した17番目の特許であったことから最初の銃は「Glock17」と名付けられた。1982年に軍での評価試験が行われ、ドイツのヘッケラー&コッホ、スイスのシグ・ザウエル、イタリアのベレッタ、ベルギーのFNハースタール、オーストリアのシュタイヤー・マンリッヒャーと早々たるメンツが集まる中、Glock17は信頼性と安全性テストでトップの成績を収め、1982年にオーストリアの軍と警察に採用された。新興銃メーカーであるグロック社の銃が採用されるという結果は世界の銃業界を驚かせ、各国の軍や法執行機関もGlock17に注目、現在では多くの国で採用されており、ポリマーフレームの銃も当たり前となっている。

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