1993年、ソマリアの”モガディシュの戦闘”で墜落したブラックホークヘリコプターのパイロットで、ソマリア民兵の捕虜になったマイケル・デュラント元准尉は共和党の代表としてアラバマ州の上院の立候補を目指します。
ソマリア内戦に介入していたアメリカは民兵の将軍を捉えるため、デルタフォース、第75レンジャー連隊、第160特殊作戦航空部隊(SOAR)からなる部隊を派遣。作戦は30分ほどで終了するはずが、40時間にも及ぶ、激しい市街地戦に発展。18名の米兵、平和維持軍のマレーシア兵1名、パキスタン兵1名、200~300人のソマリア人が亡くなります。そして、この戦闘の米軍の劣勢を象徴したのが、2機のUH-60ブラックホークヘリコプターの撃墜でした。2機目に撃墜されたブラックホークにパイロットとして搭乗していたのがマイケル・デュラント准尉です。墜落時に重傷を負うも一命を取り留めましたが、味方から遠く離れた地になり、そこには多くのソマリア民兵が迫っていました。2人の勇気あるデルタフォース隊員2人が救出に訪れるも2人は殺され、傷ついたデュラントは民兵に捕えられます。11日間、拘束されたのち、彼は解放されました。この出来事は2001年に公開された映画 『ブラックホーク・ダウン』で一躍有名になります。
現在、60歳になったデュラントは、現在アラバマ州ハンツビルで航空会社を経営しています。彼は火曜日に、引退する米国上院議員リチャード・シェルビーに空席になった議席につくため共和党の指名を争う戦いに立候補すると発表。2022年アメリカ合衆国上院選挙での立候補し、政界入りを目指します。
「馬鹿げたワクチンの義務化、何兆ドルもの出費、罪のない生活への絶え間ない攻撃と憲法修正第2条の間で、私たちは前進し、奉仕するために政治の外から人々を動員する必要があることは明らかです。」とデュラントは述べました。
彼は他の共和党員と同様に、デュラントはドナルド・トランプ元大統領を支持しており、
「トランプ大統領は、非政治家の人間であっても、政府内部の人間や政治家と対決して、何ができるかを見せてくれた。私は国に奉仕し、アラバマでビジネスを成功させることに人生を捧げてきました。ジョー・バイデンやキャリア政治家たちが私の愛する国を破壊する様子を、私は黙って見ているつもりはない。私は上院議員に立候補しています」と語りました。
デュラントは解放後、傷が癒えるとSOARに復帰。2001年に軍を退役するまでに陸軍殊勲賞、 ブロンズスターメダル、 メリトリアスサービスメダル、 戦争捕虜章、 殊勲飛行十字章 (2)、 エア・メダル(3)を受賞するなど、軍人として多くの功績を残します。2003年には軍としてのキャリアと捕虜の時を綴った自伝『In The Company Of Heroes 』を出版。映画も相まって抜群の知名度を誇ります。