エリザベス女王の国葬が19日、ロンドンのウェストミンスター寺院で厳かに行われた。ウェストミンスター宮殿からウェストミンスター寺院、そして国葬後のハイド・パークの移動までは王立海軍国葬用砲車に乗せられ、王立海軍の水兵によって運ばれる様子は正に壮観だった。水兵による棺の移動は100年以上に及ぶ伝統だが、実は水兵が運ぶようになったのには意外な理由があった。
事故の対応が伝統に
As Big Ben tolled, Her Majesty The Queen’s coffin made its final journey through London.
— The Royal Family (@RoyalFamily) September 19, 2022
From Westminster Abbey, along Horse Guards, down the Mall to Wellington Arch, the Procession included detachments from British and Commonwealth Armed Forces. pic.twitter.com/JYb4BZFeGZ
14日にバッキンガム宮殿からウェストミンスター宮殿に女王の棺が移動する際は英陸軍の近衛兵に付き添われ馬によって引かれ運ばれた。今回も移動は馬によって引かれると思ったが、棺を運んだのは英海軍の水兵だった。海軍は陸海空の英軍三軍の中で最も歴史が古く、創設当初から王立(Royal)の称号が付く、王室の軍になる(陸軍には王立はついていない)。
Photo by British Armyイギリス軍の海軍は王立海軍、空軍は王立空軍という名なのに、実は陸軍だけ王立陸軍とは呼びません。なぜ?陸軍だけ”王立”がないのでしょう?陸軍には”Royal”がつかない勘違い[…]
棺が乗せられた砲車も英海軍が所有する王立海軍国葬用砲車の「ステート ガン キャリッジ」になる。これは1896年にロンドン南東部のウーリッジにあるロイヤル・アーセナルで製造されたもので、本来、野砲を運ぶための砲車に棺を乗せるためのカタファルク(安置台)が設置されている。重さは約2.5トンになり、ハンプシャー州ポーツマス近くのホエール島にある海軍施設HMS Excellentに保管されている。これが最初に使用されたの1901年2月2日に行われたヴィクトリア女王での国葬になる。
この時の国葬ではウィンザー鉄道駅からウィンザー城まで女王の棺を運び、フログモアにある隣接する王陵に埋葬される予定で、そこまでのルートを馬によって棺を乗せた砲車は引かれる予定だった。行進が始まるまでの間、馬はずっと待っていたが、2月という極寒、しかも、その時は寒波が訪れていた。馬は寒さで不機嫌になり、いざ、行進が始まろうとすると馬は立ち上がって暴れ、馬と砲車を繋ぐ金具の部分が壊れる事態に。現場は直ぐに馬に引かせて出発しろとせかすも、直ぐに修復できるような状態ではなかった。そこで、急遽、即席の牽引ロープを砲車に縛って、その場にいた水兵が引っ張ってウィンザー城まで棺を運んだことが、水兵によって棺を運ぶ伝統の始まりとされ、以後、エドワード7世(1910年)、ジョージ5世(1936年)、キング・ジョージ6世(1952)、サー・ウィンストン・チャーチル(1965)、マウントバッテン卿(1979)、そして、今回のエリザベス女王と100年以上にわたり、それが続いている。
今回のエリザベス女王の国葬には延べ、1500人の水兵が動員。内、棺の牽引には146人が動員され、前に102人、後ろにはブレーキ役として44人が隊列を成した。
今回の国葬パレードには延べ4000人の軍人が動員されており、その中にはネパール人による部隊「グルカ旅団」やイギリス連邦を成す、カナダ軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍などの兵士も参加している。
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