最近でこそ、戦う女性兵士も増えたが、今でも戦場の前線で戦うのは男性がメインで女性は大抵、医療や補給、司令部勤めなどの後方支援が主で前線に出ることは少ない。しかし、第二次大戦時のソビエト連邦では多くの女性兵士が男性同様に前線で戦った。女性兵士の数は延べ80万人にも及び、その内1~2割が歩兵、狙撃手、戦車兵、パイロットと幅広い領域で男性兵士と同様、時にはそれ以上の活躍をした。300人以上を狙撃したスナイパーのリュドミラ・パヴリチェンコ、ナイト・ウォッチと呼ばれた女性だけの第46親衛夜間爆撃航空連隊が有名だ。そんな、ソビエト女性兵士の多くが実はスカートを着用し、スカートのまま戦うことがあった。これは当時の時代背景とロシア帝国時代から続く文化が影響している。
ズボンは男性のもの、スカートは女性のもの
現在、兵士の格好は制服でも無い限り、男女ともにズボン・パンツが一般的だ。スカートで戦うというのは男性でも、その不便さは何となく想像がつくだろう。身動きしやすいようにゆったりとした形状にすれば、引っ掛かったり、挟まったりと戦闘の邪魔になり、事故になりかねない。タイトにすれば動きづらくなる。中も気にしないといけない。
それでも、スカートを着用したのは、女性は常にエレガントでなければならないと考えがあったからだ。ロシア帝国時代を代表する女帝”エカチェリーナ2世”(1729~1796)は「スモーリヌィ女学院」を設立するなど女性の立ち振る舞いに厳しく、女性がスボン履いて、脚が2つに分かれることを非常に見苦しくエレガントではないと考えた。ズボンは男性のもの、スカートは女性のものとし、全国の女性にスカートの着用を義務づけた。ただ、これはロシアだけの話ではない。1800年のフランスのパリでも女性はスカートの着用が条例で義務付けらており、ズボンを履きたい場合は警察に許可を取る必要があった。この条例が廃止されたのは、なんと2013年だ。
更に聖書には『女は男の衣装を身に着けてはならない。また男は女の着物を着てはならない。すべてこのようなことを行う者は、あなたの神、主に忌みきらわれる』という記述があり、敬虔なキリスト教徒の女性にとっては当時、スカートを履くのはごく当たり前だった。
そんな時代であっても、馬に乗る時などは女性でもスボンを履くことは認められていた。そう考えれば、戦場という過酷な場所なら、これも特例でズボンでいいような気がするが、当時、女性兵士用の軍服が発注された時、繊維工場の女性工員たちは女性が着るという事で当然のようにスカートの軍服を作ってしまった。
当時、戦場の前線にでる女性兵士の多くは戦争で夫を亡くした未亡人だった。夫の仇を取るために男性兵士以上に勇猛果敢に戦った。しかし、スカートは不便で彼女たちの戦いを邪魔した。更にスカートを履く女性兵士は敵に捕らえられると悲惨なめにあった。そういう事もあり、その後、次第に女性兵士の格好もズボンに変わっていった。
ソビエトの場合、女性が早々に前線に出たという事もあり、女性兵士のズボンの着用が広まったが、米国、ヨーロッパの軍の女性兵士がズボンを着用し始めたのは1960年代と実はずっと後だ。今では軍隊の中でも女性比率があがり、男女平等が叫ばれ、多くの国で男女による軍服の型式の差異は無くなっており、制服においてもズボンかスカートかを選ぶことができる。