「赤い彗星」といえばご存知、『機動戦士ガンダム』の「シャア・アズナブル」を指す言葉。その強烈なキャラクターとカリスマ性から主人公のアムロを上回る人気を誇り、ガンダム好きではなくても、シャアは知っているという人も多いでしょう。この赤い彗星と同様に赤い異名を持つ者が第一次世界大戦にもいたのをご存知だろうか?シャアのモデルとされ、「レッド・バロン」という赤い異名で戦場を駆け抜けたパイロットを紹介する。
機動戦士ガンダム THE ORIGIN VI 誕生 赤い彗星
ドイツ陸軍航空隊所属のパイロット
「レッド・バロン」と呼ばれた男の名はマンフレート・フォン・リヒトホーフェン大尉(1891~1918)。当時ドイツ領であったシレジア(現ポーランド)生まれのドイツ陸軍航空隊に所属するパイロットだ。
赤い男爵 レッド・バロン
彼は愛機の複葉機「アルバトロス D.II」「フォッカーDr.I 425/17」をシャアザクと同様に真紅の赤に染めていた。これが赤い異名の所以だ。彼は機体を赤く染めた理由を自伝で以下のように語っている。
ある日、まぶしい赤に染めるアイディアを思いついた。そうすることで、誰もが私の赤い機体に気づいた。実際、気づかない敵はいなかった。
つまり、思いつきということだ。
男爵家の出ということもあり、彼は赤い男爵を意味する「レッド・バロン」と呼ばれた。その無類の強さからドイツのプロパガンダに利用される。これはジオンにおけるシャアの「赤い彗星」も同様に利用されている。
このレッドバロン以外にも敵国から様々な異名がつけられた。
フランスからは
「Le petit rouge 」(小さな赤)
「Diable Rouge 」(赤い悪魔)
イギリスからは
「Red Knight」 (赤い騎士)
赤い異名のきっかけ
シャアは一年戦争のルウム戦役で一人で赤いシャアザクで5隻の戦艦を沈め「赤い彗星」の異名を得る。リヒトホーフェン は1916年11月にイギリスのエースパイロット、ラノー・ホーカー撃墜し、5ヵ月間で16機を撃墜し、勲章を授与され名声を得た。ただ、この時点ではまだ機体は赤くはなかった。
その後1917年1月に戦闘機中隊の中隊長に任命される。彼の機体が赤くなったのは中隊長に任命されてからだ。既に敵味方の間で有名であったリヒトホーフェン には後から赤の異名が付いてきた。彼は1918年4月の戦死するまでに80機を撃墜する。これは第一次世界大戦における撃墜スコアの世界最高記録だ。
ちなみにシャアの撃墜数は? というと記録は無かった。シャアはルウム戦役以降は指揮官になり、特殊任務や謹慎があったりと大規模戦闘の参戦が少なくなる。参考までにシャアのライバルの連邦軍のアムロの撃墜スコアはMS142機と艦船9隻となる。
シャアとリヒトホーフェンの類似点
実は機体が赤い以外にも両者には類似点がいくつかある。
生まれ
リヒトホーフェン
アルブレヒト・リヒトホーフェン男爵とその妻クニグンデの長男として生まれる。
シャア
ジオン共和国創始者、ジオン・ズム・ダイクンと妻トア・ダイクンの長男として生まれる。
どちらも名家の出だ。シャアは妹のセイラ・マスが有名だが、リヒトホーフェンには姉と2人の弟がおり、弟の一人ロータルも40機の撃墜スコアを誇るエースパイロットだった。
乗馬が好き
リヒトホーフェンは乗馬を楽しむ少年時代を過ごしている、シャアも乗馬をする姿を『THE ORIGIN』『機動戦士ガンダム』『逆襲のシャア』を見ることができ、乗馬が好きなのをうかがえる。
士官学校の卒業
リヒトホーフェン
19歳 士官学校を卒業。
シャア
19歳 ジオン士官学校を卒業
同じ年齢で士官学校を卒業し、士官になっている。ちなみに入学はリヒトホーフェンが11歳、シャアが15歳。11歳で士官学校とは時代だろうか。
卒業後の最初の配属
リヒトホーフェン
ロシア皇帝アレクサンドル3世皇帝連隊 第一槍騎兵連隊に配属
シャア
キシリア・ザビ揮下の教導機動大隊に配属
どちらも帝国一族直下の部隊に配属されている。
身長
リヒトホーフェン
180cm
シャア
175cm(機動戦士ガンダム)→180cm(Zガンダム以降)
シャアはなぜか5㎝伸びたが、クワトロ・バジーナの時にはリヒトホーフェン と同じ180cmになっている。
イケメン
上がリヒトホーフェンの写真だ。イケメンだ。シャアは仮面を付けているので中々素顔を見る機会は少ないが、金髪の整ったイケメンだ。また両者とも名家の出だけあって気品が感じられる。シャアの素顔をじっくり見たい人は『逆襲のシャア』を見て欲しい。
機体が同じ赤で上記のようないくつもの類似点。まさしくレッド・バロンはシャアのモデルといえる。
レッドバロンの機体が見れる場所
リヒトフォーヘンの愛機であった 赤い「フォッカーDr.I 425/17」の実物大のレプリカが見れる場所がある。それがドイツのミュンヘンにある「ドイツ博物館」。ここではこちら以外にもメッサーシュミットBf109などドイツの航空機を多数見ることができる。
自叙伝や伝記も出ており、いくつか映画化もされている。もっと詳しく知りたい人は映画を見て欲しい。